自分のことに一生懸命であればいい

ラジオ体操も回数を重ねてくるとだんだん自意識が薄れてくるのがわかる。

初めの頃は、音についていけてなかったり飛ぶところが飛べなかったりすると一瞬だけ極まり悪かった。

誰かそれに気がついているかなと見渡すが、誰もが自分の運動に夢中で人のことなどお構いなしなのだ。

ピッピっと機敏な動きで体操選手のような人もいる。

ああすごいなあ。かっこいいなあ。

そう眺める私もチラッと目にはするだけで自分の身体を動かすことで誠意一杯。

だからどうだとか、それに比べて自分はどうだ、あっちの人はどうだ、誰がどうかなんてどうでもいい。

最近はぶんぶん振り回す腕も、限りなく気持ちよく大きく振り回す。

ジャンプも筋力が弱くて跳ねることができないが、膝を曲げたり飛ぶ真似をしたりするのを恥ずかしがらずやっている。

堂々とするって楽しみが増す。

目立たないように、指差されないように、隠れろ。

母はそう私に教えた。

世界はそんなに息苦しいところじゃない。

何を見て、何を感じるか。

私は空を見上げて気持ちいいと感じる。

木の幹を触って温かいと感じる。

起き抜けの腫れぼったい目でやってきたふっくらしたおばあちゃんを見て愛らしいと思う。

そして。

真剣な顔をしてドタバタ身体を動かし、音楽に乗り切れず時々ずれている自分の姿を想像して可笑しくなる。

生きることもそうかもしれない。

人の生き方暮らし方も自分のことに一生懸命であれば周りはどうでもいい。

素敵だな。

そう感じるだけでいい。

それに比べて私はなんて考えず、私は私でドタバタ手足を一生懸命動かしてそんな自分を面白がっていればいいのだな。

 

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