今の自分でも許せる気がしてきた

昨日の記事で『ましてや摂食障害に加えて食事制限もある私は、作っても自分ではそれを食べないことも多々ある。』とさらっと書いた。

さらっと書いた風を装って、実は何度も削除して迷って載せた。

摂食障害。私の場合は栄養失調が怖いので、タンパク質の肉も魚も野菜も炭水化物も口に入れる。だが、それは自分の安心できる食材で調理したものでないと不安になるのだ。人の買ってきたもの、作ったもの、とくにそれが家族だと、うっとなる。大学の頃からじわじわそうなり、結婚して一度は完全に治ったと思ったのだが、二世帯住宅と父親の死、母のそばでの育児、このあたりから再発した。そして、状態はどんどん悪化していった。

もともと、癲癇、心臓、肝臓、遺伝性高脂血しょう、を抱えて小学生の頃から大学病院に通っていた。おそらく母の過干渉の原因のひとつにこれも深く関係しているのかもしれない。

そんな弱い身体で食生活が崩壊するとどうなるか。

人間として崩壊しかけた。してたかもしれない。

それでも頑張らないと、ちゃんとしてないと、認められたいとやみくもに動いた。

家事も、育児も、学校の役員も。ネジが狂ったように動き続けた。

そして息子の受験が終わり中学生になったゴールデンウィークの直前、突然立てなくなった。

肝臓の数値が危篤の人と同じになっていた。

心不全を起こしていた。

血圧も下がっていた。

意識はあったが、あれは精神的に病んでいたと思う。

そこから。そこからの今。文字通りもがき苦しんだ。死にたいと思った。死ぬのは息子の人生に落とす闇を考えると無責任だ、あと1日、もう1日、とにかく生きよう。

そうやって繋いできた。

いつしか。

ブログをはじめた。

ここで自分をさらけだすことをはじめた。

母への葛藤、怒りを掘り起こし、向き合った。これも苦しんだ。

 

そのときの後遺症なのだ。

泥沼から這い上がって息は楽になったが、あちこちに不具合が残っている。

母と笑顔で会話ができるようになった。

お姉さんのためにあなたを産んだと、真顔で言われても母の想いを同じ母親として理解できるようになった。

寂しく思う時もあるが、二人を愛しているから、それでいいと思う。

姉に張り合おうなんて、もう思っていない。母に認めてもらいたいと必死になっていた自分を遠く感じる。

確かに私はいい方向に来たのだ。

でも、残っている、変な食へのこだわり。

 

昨日、さらっと書いた風を装って、ドキドキしながら書いた。

それなのに、そんなことに反応もせずにブックマークにコメントを残してくれる人がいる。

一番、無様で醜いと思っている自分の癖を晒すのは怖かった。でも、それをした今、少し許してやれる気がする。

 

いつかまた普通に食べられるだろうか。

いつも漠然と自分を恥じている。

だから、みっともないままの自分に関わってくれる人が複数いるということが、今の私を強く支える。

また小さく、いい方向に進んだ気がする。

スターを残してくださった方。

コメントを残してくださった方。

ありがとう。