神様の飴玉

息子の名前が動画のエンドロールスタッフの中に混じって載った。

神様はときどき、こんな形で「ほれほれ」とご褒美をくれる。

通ってきた道のりに後悔や疑問を持つときがある。

自分の生きている世界はもっと輝かせることができたのではとうっすら考えてしまう。

子供が頑張った成果だから私はなんの関係も無い。

進学も就職もすべて、導いてやった自覚はない。

ただ、本人がやるということを邪魔するのだけはよそう。

助けを求められたら全力で味方になろう。それだけで精一杯だった。

 

思春期には私の価値観ではありえないことをやりたいと言い出す彼が理解できなくて、オロオロしたり腹をたてることもあった。しかしそれでは自分が責任を持って彼の人生をひっぱってやれるのかといったらまったくそんな自信もない。あとから「母さんのせいでこうなった」と言われるくらいなら、最強応援団になろうとしたのだ。

だから彼は彼だけの力で切り開いてここまで来た。

私は環境として影響した程度だ。

自分の手柄でもなんでもないのに、息子の名前が自分のパソコン画面のなかにあって、それが世界に発信されているなんてとぼうっとしてしまう。

神様はときどきこうやって絶妙なタイミングで飴玉を落とす。

疲れたなあとしゃがみ込んでいるとポンと投げてくださる。

拾って舐めて甘くて嬉しくて、口の中で右に転がし左に転がし、よぉし、また歩いていこうと元気が湧いてくるのだ。