これからの生き方

なぜか最近モヤモヤしている。

髪を切りに行ったら美容師さんが前髪を短くした方が似合うと言ったのでその通りにしたら、元気な子供戻ったような感じに仕上がった。気に入ってすっかりいい気分になった。

と思ったのに、家に帰ると庭から息子が昼休憩でテーブルについてテレビを観ながらカレーを食べているのが見えた。

「おかえり」。

窓越しに両手を振ってくれた。

ただいま。瞬間、お母さんになる私。シャキンとする。ウキウキした気分はシュンと消えた。

スーパーに寄って買った食材を冷蔵庫にしまう。

朝、散歩をして体操をする。体をブンブン振り回し、大空を仰ぐ。いい気持ち。

さわやかに家に帰ると夫が新聞を読みながら「おかえり」。

ただいま。主婦になる。

目玉焼きとブロッコリーとウィンナーを炒める。

しかけておいた洗濯物をハンガーにかける。

あれ。なんか私、イライラしてる。

なんでだろ。

 

自分がわかっているようでわかっていない。

なにがおもしろくないのか。なにが不安なのか。不満なのか。

まあ、波ってあるから。今はそんなとき。

コロナで家族がいつも家にいるから、つい、それぞれのタイミングにあわせて行動してしまう。寝る時間、テレビを見る時間、くつろぐ時間、読書、ドラマ。

一人っきりの時間は1日のうちに何度もあるが、それは毎日、読めない。

時間帯も長さも日々変わる。

昼ごはんも、食べるのか食べないのか、12時なのか、1時なのか4時なのか、抜くのか。

勝手にやってもらおうと何度も試みたがうまくいかない。

居合わせれば、「なにかある?」と聞かれる。

急に「おにぎり、部屋でたべる」のときもあれば「これから会議だから今すぐなにか食べたい」のときもある。

突っぱねることもできるがそれはそれで自分自身が嫌な気持ちをひきずる。

冷凍食品をたんまり買っておいたこともあるが、これも自分がザワザワしてダメだった。

家族のせいではない。

私の振る舞い方の不器用さ。

勝手に要領悪くドタバタして、勝手に気持ちが疲れているのだ。

二人が家で仕事をする暮らしは長く続くだろう。この生活もはどうやら一時的なものでもないようだ。

息子の独立も、感染が落ち着いたらと言っている。

 

今朝、ラジオ体操の集まりに高齢の女性たちが集まってお喋りをしていた。

それぞれ、自分好みの楽な服を着ている。朝からイヤリングをしてお化粧もしている人。

アロハみたいな柄のシャツに、半ズボンのぶっ飛んだ格好の人。

太っている人、ガリガリのひと、大人しい人、大きな声の人。

誰もがやりたい放題、そして互いにおかまいなし。

自由だ。

突き抜けた自由さを纏っていた。

いいなあ。わたしもおばあさんになったらあんなふうに、すべてを吹っ切ってやりたいようにしよう。

なんて眺めていた。

あれ。

それって、もう今すぐ、やっていいんじゃないの。

子育ても終わって、夫も健康。母も健康。

なんの縛りもない、縛り付けているのは私自身の固い頭と臆病な心。

よし。

ふっきるぞ。いろんなことから自分を。

摂食障害も、抱えている病気も、体質も、落ち着いたら治ったらなんてもう待つことない。

今のこのまま、無様なまま、弾けてみようか。

浮くかもしれない。理解されないかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。おかしいからよせと言われるかもしれない。

でもそれら全部引き受けて、障害も病気もぶら下げたまま、振り切るんだ。

やりたいことを、今。

人のせいにしない。

人の人生じゃない。

モヤモヤしているのはなにかのサインかもしれない。

・・・・・ちょっと、おちつこう。

勢いづくと転ぶから、まずはその意識を、自分に植え付けよう。

まずは、そこから。

方向性として。