夫とのスイカのやりとりでズンと落ち込み、「まあ、それも私の個性か」と飲み込めるようになるまで予想以上にかかった。
こんなに引きずるとは思っていなかったが、逆に言えば、自分を防衛ばかりしていた心がすこし広がってきたのかもしれない。
ずっと長いこと、自分の気持ちを抑えることで周囲とうまくやっていた。
大人になってあるときそれが急に苦しくなり、怒りと悲しみがあふれて混乱する。
それからやってきた自己嫌悪と劣等感と無気力状態。
息子がいなかったら私は崩壊していただろう。当時は息子の親であることへの責任だけのために、過ごした。
しかし同時に、とにかく生きよう、とにかく存在しようとすることだけしか考えられず、それを見守る家族の心への配慮なんてなかったのではと思う。
そこをくぐり抜け、最近の私は少しだけ開けてきた。
どうしてこんなことにと途方に暮れてしゃがみ込んでいたのが、徐にポンポンと膝をはらいながら「さ、歩くか」と立ち上がったところ。
立ち上がり、歩き始めた世界は少しだけ以前と違う。
誰も私を責めてはいない。誰も私を馬鹿にしてなんかいない。攻撃なんかしていないのだ。
もうちょっと安心して気を抜いても大丈夫なんじゃないの?と思い始めている。
夫に暴言を吐いたのも、たぶんそんな緩みから甘えがでたのだ。
甘ったれて自我を出して、相手を傷つけたと落ち込む。
うまくないなあと思う。
揉めることが面倒で、とにかく引っ込めるでやり過ごしてきたから、下手なんだ。
それでも、偏屈な自分を夫に認知させたという、へんてこりんな達成感と安心感を手に入れた。
凸凹夫婦。