悲しみと甘さと愛とスイカと

昼ごはんのお盆にスイカの小皿を乗せる。

こうやって食べるんだから、どうしてあんなふうなことしちゃったんだろう。

ちくん ちくん

 

おおきなおおきなスイカを夫が買ってきた。

丸ごと一個、気温36度の午後2時の猛暑の中、郵便局に書留を出しに行った帰り、布袋に入れて帰ってきた。

「スイカ買ってきちゃった」

イカは私の好物である。入院する直前、なにも口に入らないほどのときでもスイカだけは口にした。

買ってきちゃったと言ったその表情は、ちょっと嬉しそうで得意そうだった。

まるで子供がお母さんを喜ばそうと、頑張ったときのような顔だった。

なのに。

なのに私は咄嗟にこう言った。

「なんで・・どうしてそうなんだよぉ・・私、こういうのだめなんだよ」

どんなに好きな食べ物でも、自分の意志以外のところでぐいっと差し出されると怖い。

先日の母の差し出した桃ほどではないが、丸ごと一個の大きなスイカに私は怯む。

恐怖なのだ。その食べ物に責任を感じて逃げ出したくなる。

「ごめん、ごめん、トンさん喜ぶかと思って」

夫は怒るでも無く、拗ねるでも無く、笑って「ダメか、ダメだったか」と謝る。

「・・・父さん忘れてるかもしれないけど私、摂食障害っていったじゃん。こういうとこなんだよ。自分でもわからない。でも大量の食べ物を不意に持ってこられるとパニックになるんだよ。」

その単語を聞いて夫は「あ」と言って、もう一度ごめんよと言った。

そうさせた自分の酷さに自分でまた傷つく。

夫からスイカを受け取り半分に切る。

ほどよく熟れてパカっと割れた。

5センチ角に切り取り、タッパーに入れた。このサイズになると手に負える。恐怖心も拒絶反応も弱くなってくる。

「・・・ごめんね。私を喜ばそうと思って買ってきてくれたんだよね。その気持ちは嬉しいのに。うまく受け取れなくてごめん。」

「いや、父さんが忘れてた。そうか、こういうの、ダメなんだな。ごめんな」

摂食障害はこうして人を傷つける。

だいぶよくなってきたのだ。一番酷かった時は誰にも言えないから苦しかった。その分、相手を逆恨みしたり、自分をよけい嫌いになったりした。

元々抱えている身体の方の疾患に加え、複雑に絡み合うこの病気。自分はもう人間として壊れていると惨めだった。

木っ端微塵に壊れていた。今は、接着剤でなんとかくっついたばかりの補修品。

ちょっとの刺激で簡単にすぐ、ひび割れる。

欠陥品には違いない。

救いなのは夫にそれを丸投げできたこと。

言われ無き逆恨みの反応に怒ることなく「ダメだったか、今度はもっと小さいのにするな」と自分が失敗したと笑う人がそばにいること。

いつか、この人とくったくなく旅行に行ってあちこち食事をして楽しみたい。

部屋食で二人、お酒を飲んで笑いたい。

そんな夫婦になりたい。そんな生活を送りたい。

きっと豊かだろう。

 

小さく切ったスイカをお盆に乗せて、一人の昼ごはん、結局は食べるのだ。

甘くておいしい。

ごめん。夫。

ありがとう。