悲しい。
惨めだ。自己嫌悪と。敗北感と。劣等感と無力感と。
せっかくこのところ調子がよかったのが一気につぶれた。
もしかしたらこのまま治っていくのかとうっすら思っていたのもペシャンとつぶれた。
つぶれてぺっちゃんこ。自尊心がぺっちゃんこ。
惨めで泣きたい。
くだらないことだ。
桃を三つ、もらった。3人で食べなさい。一人ひとつづつ。上等な桃なのよ。取り寄せたんだから。あなたに、食べさせたいんだから、二人にあげたりしないでちゃんと食べなさいよ。
母が持ってきた。
ときどきこうして食べ物をもらう。
それを私はうまく食べられない。自分で買ったものなら食べられるのに、不意にもってこられるものは「食べるぞ」とある種の覚悟をしてからでないとうまく飲み込めない。
母に話したこともあるが会食の時には普通に食べているので理解できない。
会食は何日も前から決まっているから「覚悟」ができる。そうしてなんとかこなしているだけなのだが、そこがわからない。
摂食障害だということは説明した。
「あなたのはちがう」と母は言う。ちがうの、私は病気なのと泣いても違うと言う。
吐き戻したり、拒食しているわけではないから違うと言うが、この病気は表面に見えるところだけで判断できないと私は捉えている。
不自然なこだわりがあるのだからやっぱり病気なんだと自覚している。
息子が食欲はないといいながら、もらった桃なら食べるんだよ。ひとりでもう二つ、食べた。
元気になってきたこと、母からもらった桃が息子の滋養になっていることを喜ばせたくてそう言った。庭からまわって「どう?」と心配している母を安心させたかったのもあって桃を二つ食べたよと言ったのだ。
「あら、あなたに食べさせたかったのに」
「ちょっとつまんだよ」
嘘だ。これ幸いとばかりに息子に剥いてやり、一口も入れていない。
自分でもわからない。でも気持ち悪くて食べられない。
それが今朝のこと。
ひとり、昼ごはんを食べていると、呼ばれた。
「ちょっと2分だけでいいから来てくれる?」
濃厚接触者かもしれないから出入りしないでと言ったのに呼ぶ。またパソコンかなにかの調子が悪いのか、しかたないなあ。
行くと机の上に桃が剥いて置かれていた。
ぎくっとする。逃げたい。
「まあ座りなさい。ちょっと休んで」
母はよかれと思ってやったのだ。あの子に食べさせたくてあげた桃なんだから。疲れた顔をしていた。ここで休んで力をつけさせよう。
そう思ったのだ。
すべて瞬時にわかったのに、私はそれを激しく拒絶した。
「いいよ、今お昼ご飯食べてるの。いらないから」
「ちょっとくらい。食べなさい。これっくらいどうってことないでしょ食べなさい」
「やだ、もうこういうの、お願いだからやめて」
部屋をでていこうとすると背後から
「どうしてそんなに嫌われなくちゃならないのかしらね」
と母の捨て台詞。はぁっと深くため息と一緒に聞こえた。
これだ。この罪悪感。母を傷つけたという罪悪感が私をえぐる。
自分は未熟なダメな人間なんだと思い知らされる。
ダメだ。下手でも自分の気持ちを言わないと。ここで黙って帰っちゃダメだ。
一旦閉めたドアをもう一度開けた。
「私だってお母さんを傷つけたくてやってるんじゃないんだよ。苦しんだよ。そういう病気なんだよ。こういう不意打ちみたいに出されると、どうしてもうまく食べられないんだよ」
「そうですか、ごめんなさいねっ」
「こちらこそごめんねっ」
どちらもとても誤っているとは思えない語気のごめんなさいでその場を去った。
立ち向かった。言葉を残した。事態は最悪だけど。
自分の家に戻ったが、観ていたドラマも昼ごはんも、なにもかもつまらないものになってしまった。
ノックがしてもう一度ドアが開く。
悪かったわねと来てくれたのかと甘ったれた考えがよぎる。
「孫ちゃんに食べさせてねっ」
母がさっきの皿をテーブルにコンっと置いてすぐ、出ていった。
チラリともこっちを見ず立ち去った。
再度、心がざわつく。
置いてかれた皿を触りたくなくて、視界に入れたくなくて、同じ空間にもいたくなくて、食事を済ませると二階にあがった。
うっかりすると泣いてしまいそうだ。隣では熱をだして息子が寝ている。
私は母親なんだ。これしきのこと。これは私の問題だ。泣くなんて。ダメだ。
53にもなって。80の母を。悲しませる。
そんな自分が惨めだ。
母親になっても。妻になっても。成熟した大人になれていない。
その事実に直面してしまった。もう大丈夫かと思いつつあったのに。
けっこう大人になれてきたかと内心うぬぼれていたのに。
生活は続く。
明日も明後日も母との暮らしは続くのだ。
何事もなかったふりして続けるのか。それとも改めて謝ってわだかまりをどうにかするのか。
なるようになれ。
自分を捨ててしまえば楽になるのだろう、きっと。
くだらないこだわりを捨ててしまいたい。捨ててしまおう。そう意識していこう。
神様、どうかどうかどうか、わたしに力をください。