支離滅裂に散文

ラジオを聴きながらスーパーで野菜を見ていた。レタスが110円で安くてどれにしようか選んでいた。安いだけあって小さいな。でも新鮮だ。よし、どれが一番いいものか選ぼう。片っ端からセロハン袋の取っ手を持ち上げていた。

そこで知った。聞こえてくる情報が頭の中で結びつかず、確認したくて立ち止まってそっちに集中した。

よく知っている人。友達でも親戚でもない。けれど、息子の恩師のように、ずいぶんとお世話になった、最近どうしているのだろうというような近い人。

どう受け止めたのかよくわからない。

 

それから情報は情報として最終的なことまで知った。

テレビをつけるのは怖くてつけなかった。

耳からで十分だった。

起きた事柄と状況から映像も音声もあるにちがいない。

動揺している。そんな不安定なところに激しいものに向き合う自信がない。

一旦集中させた意識を今度は思いっきり逸らそうとする。

 

息子が二才のころ。9月11日のあの恐ろしい映像が夕方のニュースで流れた。

無防備だった。

夕飯のしたくをしながらニュースを聞くのが習慣だった。

テレビの脇でミニカーを並べて一人で遊んでいた息子は画面からの大きな音に反射的に顔をあげ、すべてを真正面から受け止めることになった。

私より先に、ダイレクトに見た。

すぐテレビを消し、抱きしめた。あれはなあにと聞くので、遠い国で火事が起きたよと言った。泣きはしなかったが、長いこと抱きしめられていた。

その晩も次の日もケロッとしていた。

ああ、取り越し苦労だったと思っていた。

けれど半月ほど経った頃から乗り物にのるのを嫌がったり、昼寝を嫌がったり、様子が変わった。

10月末に予定していたグアム旅行の飛行機を泣いて嫌がる。

遊びたいのは親のほうだった。一番遅い便にして、乗る直前にたらふく美味しいものを食べさせ山のように絵本やらおもちゃを持ち込んで誤魔化しながら、中止にせず離陸するまで膝に乗せ機上した。行きも帰りも乗ってすぐ寝てくれたので困ったりもしなかった。

だからどうしろと警告するつもりはない。

これは私の場合のこと。

父が亡くなった時、元気なふりをした。

息子にとって母親の自分が連日泣いていたら子供は怯えると思った。

葬儀ではいろいろしてくれた夫にもこれ以上暗い空気を押し付けちゃいけないと思った。

だからわざと陽気にふるまった。

ちゃんと悲しまなかったからか私は父の死を受け入れるのに相当時間がかかった。

そのせいで変な方向に向かってついには体をこわした。

 

それとこれが同じだというのでもない。

でも、なぜか、やはり私は悲しいのだ。

社会に。

ドラマでもなんでもなく、だれかの携帯で撮った現実を。

小さな子が。マスク生活を当たり前と思い、黙って給食を食べ、お友達に抱きつくこともいけないことと信じてしまうくらい柔らかい心の子たちが。

どうか、うっかりでもダイレクトに目に耳に飛び込んでいませんように。

なにかを感じても大きな安心感に包まれて寝息をたてる夜でありますように。