朝。
夫は朝早くから試験を受けに行く。
「新聞取りに行った時、門のとこ、見た?」
「あ、見てない、ごめん」
「そういうとこ。そういうとこだよ。ちゃんと見て、褒めてやらないと」
ごめんごめんと言いながら、カレーをよそる。目はテレビ画面の大谷選手のホームランにむけられている。
オオタニ、スゴーイ!
歓声の中、アメリカ人の実況アナウンサーの日本語が聞こえた。
スゴーイのは私なんだ。もっと称賛されるべきなのだ。
昨日、門の前の溝掃除をした。
重い金具の柵を5枚、うんしょうんしょと持ち上げはずし、ドブ臭い匂いのする泥を掻き出す。重く、臭く、しんどく、めんどくさい作業。
門をくぐるたびにこの溝に泥が溜まって汚らしいのが気になっていたが見ぬふりをしてきた。
しかし、びっしり泥で埋まり水捌けの役目もしていない。
これから梅雨になる。やらんと。やらんとなあ。
眩暈だの頭痛だの虚弱だのを盾に夫に「やって」と頼めばやってくれるだろう。が、それは最短でも三週間先だ。平日は無理。週末も無理。それが当分続く。
ならば息子。あいつこそ当てにならない。
奴の優しさは本物だが、こういった汚れ仕事から逃げたがる。
風呂場に現れた小さなゲンゴロウに怯える男に泥の中ででっぷり太ったミミズに立ち向かえるわけがない。それ以前、泥に立ち向かえと説得するほうがエネルギーがいる。
80過ぎの母親は論外。姉は・・なぜか可哀想で頼めない。
ならば。ワタクシが。いたしましょう。
息子はジムに行った。帰りに美容院に寄って無印で洗顔料を買ってくるらしい。1日家で寝ていた彼の変化は意外だった。喜ばしい。夫は親戚の家の後片付けに出かけていった。
腕に百均で買ったビニール手袋をはめ、作業に取り掛かる。
ドブ溝、門のドアのレールの溝、門の屋根、電灯、表通りにあふれた汚水の処理、取り除いた泥の処理。仕上げにホースを伸ばして持ってきて水でゴシゴシやったらびっくりするくらい綺麗になった。
新年を迎えるような清々しさ。
終わった時には朦朧としつつあったが、想像以上に爽快だった。
途中、門を開け放して水を撒いていると何組もの親子や若者達が前を通過していく。
紫陽花に花を近づけ「くさっ」と言い、それに大笑いして「いい匂いだろう?」と言うお父さん。坊やはお父さんを笑わせたのが嬉しくてまた「くさっ」とやる。
「どこで食べる?」「この前さ、並んであそこ無理だったじゃん、リベンジする?」「あたしあそこ、どうでもいいわ」「だよね」と早足で過ぎていく女子二人。
ジョギング。犬の散歩。
みんなが動き出す土曜の朝。
そして彼らはちらっと私の方を眺めていく。あちらはあちらで「庭の掃除をしている平和な家庭の主婦」としてこちらの景色を捉えているのだろう。
見知らぬ人達の、心弾む週末の朝の光景に、自分が映っていることが無性に嬉しいのだった。
夫が出発する。車を出すために門を開けるのについていく。
「すべりが違うよね」
「うん、違う違う」
「ほら、ここも。ここも。ここだって。美しかろ」
「うん、きれい」
車を通りに出し降りてきて、門をスライドして閉めるのを手伝わず、言う。
「滑りがちがうよね。」
「うん、違う」
「泥もほら、すっかり綺麗」
「うん、綺麗」
「滑りがね。違うよね。」
3枚目の板をスライドしてる夫は「うん、違う、違う。ありがとう、すごいすごい」ヘラヘラ笑いながら車に乗った。
よし。褒めたので行ってよし。
妻は通りの真ん中にふんぞりかえって立ち、両手をふって見送った。
日曜日がはじまる。