私はもしかしたら偏屈なのかもしれない。
それともこの数年、常に疲れているのか。
大学、いや結婚するまでか。人と会うのが好きだった。友達と映画に行ったり、テスト開けには決まった数名でいつも区の保養所に泊まりに行った。旅先では夜通し恋話もした。
仕事帰りには会社の気の合う子と夕食をしながら話した。
決して人嫌いではない。と思う。スーパーでもコンビニでも店員さんと短い会話をする。ヤクルトのおばさんも、生協さんも宅急便のお兄さんも。
でもどうも、一人がいちばん好きなようだ。
誰かと居ることは苦痛でもなく、それなりに楽しめる。そして楽しそうにもする。
けれどじゃあバイバイとなった時、ほっとする。
もう一軒行く?となったら内心、えぇっとなる。
自分の好きなように時間を使いたいだけの我儘かもしれない。
一人になって何をしたいわけでもない。
ぶらぶら本屋を覗いたり。ただ歩いたり。
人を断っておいてまでしなくちゃならないことでも、どうしてもやりたいことでもないのだ。
さっき近所の友達が「今から旦那が出かけるからお茶しに来ない?」と誘ってくれたが、断った。
嘘をついた。
午前中、母が美術館のチケットを取ってくれと携帯片手にやってきた。
そこから延々お喋りが続き、その相手をしていた。
誘われたとき咄嗟にこう言った。
「これから母が来て美術展のチケットを取ってあげることになってるんだよ」
母はとっくに帰り、午後は何にも用事はなかったのにそんな言葉がしれっと口をついたのだ。
彼女のことは好きだけど、今日は違うんだなあ。
そう思ったものだから、口実に午前の出来事をこれからの予定として捏造した。
じゃあ終わったらおいでよと彼女はいう。
でも、いつ始めるかわからないからさと私はかわす。
じゃあ、うちに来てて、電話で呼ばれたら帰ればと彼女は言う。
そう言うわけにもいかないんだよと私は苦笑いをする。
30分だけと決めてちょっとだけお邪魔すると言う柔軟なことができない。
やろうと思えばできるのに、したくない。
相手が彼女だからではない。むしろ彼女は私の中では数少ない友人のつもりだ。
そうやって思い巡らすと私が誘われて「うん行く行く」と反応するのはほとんど無い。
もう何年も、心の底では誰かとなにかというのがめんどくさいと思っている。夫以外は。
それと繋がるのか知らないが、ドラマも映画も本も漫画も雑誌も、ググッと引き込まれるものが少ない。
退院してから数年は皆無だったからだいぶ人間らしさが戻ってきたとは思うが、なにかに熱中することが減った。
これが年を重ねたことなのか。
栄養とエネルギーが足りてないからなのか。
面白いと思った芸人、うっとり浸ってしまう歌手、ついつい観続けている海外ドラマのシリーズ、読みかけの本、稀に塗り絵と、散歩。
その小さなサークルをコロコロコロ転がしながら一人ホクホクしている。
また、人と会うために時間のやりくりをしたくなる自分が戻ってくるのだろうか。
今日ついた小さな嘘の棘が、ちくちくちくちく痛くて痛くて一人でいても休まらない。
あれは、嫌な私だった。