新年度

昨夜、職場のシステムの切り替えだとかで、全社員夕方6時にはパソコンをシャットダウンするようにと、お達しのでていた息子は久しぶりに6時半に仕事を切り上げ降りてきた。

それを知っていたので、カキフライだったのだ。

「あなたも今晩早く終わりそう?」

「うーん、ごめんな、今日はちょっと無理っぽい」

「あ、そう。じゃ、後で温めてね。了解了解」

夫には悪いが息子のタイミングに合わせてフライを揚げる。

大きな牡蠣だ。それぞれ5個ずつ。千切りキャベツと味噌汁と。朝から作った肉じゃがはひっこめ、冷蔵庫に残っていた茄子とピーマンと鶏胸肉の甘酢炒めと大根の甘辛煮を小鉢に入れた。

おおっカキフライじゃん。となるかと思いきや、お盆に乗った皿をながめ、

「あ、カキフライ・・・どうしよ、なんか俺、食欲ないんだよね」

ときた。

なんと。

このとき一瞬思う。

お母さんの話を最後まで聞いてやらなかった報いか。

いやいやいや。やめよう。そうやってなんでもかんでも自分が悪いとするの、もうよそう。

胃が痛いのだそうだ。

食欲がないといわれると不安になるが、胃痛となると少しホッとする。

「たぶんそれ、ストレスだよ。このところ会社の面談とか部署編成とか、人事移動とか会議とかあちこち少しづつ緊張してるから。常に胃がキュッとしてるんだよ、知らず知らず」

もっともらしく言う。こういうときはハッタリでも自信たっぷりに言い、病気ではないと洗脳するに限る。

息子は新学期、運動会、塾に行き始めた頃、合格発表、学科移動の頃、お腹を緩くし、胃が痛くなり食欲が落ちた。

一見、ケロケロ冗談もいい、歌ったり踊って戯けて見せたりするので気づきにくいが、けっこう深いところでは心が揺れ動いている。

「あぁそうかも。なんだストレスかよ」

「食べたいものだけ食べたら」

本当に食欲がないらしく、味噌汁と卵かけご飯と大根の煮たのを二切れ。カキフライは二つ食べて残した。

勝手に喜ぶだろうと用意したくせに、なんだかがっかりするがこればかりは仕方がない。

「ごめんよ」

「いいって。杏仁豆腐があるからそれでも食べとき。エネルギー不足すると負けるぞ」

「いいのか、そんなに甘やかして」

いいのだよ。いいのだ。

外では誰が敵か、誰が味方か、自分はどう評価されているのか、ぴーんと張り巡らしているのだ。この家の中でくらい。

ああどうして。夫だって同じはずなのに。それなのになぜ、夜用に作ったカレーをうっかり昼に食べたくらいであんなに責めてしまうんだろう。

この家の中でくらい。気を抜いていい。

ソースをかけたまま残されたカキフライ三つを皿から取り上げ、夫のまだきれいなもの三つと取り替える。手付かずの茄子とピーマンはそのまま夫の小鉢に増量させた。

「わーい、カキフライだ。今日ごちそうだね」

8時過ぎ、遅れて降りてきた夫が喜ぶ。

「トンさんありがとう」

あれ、僕のカキフライ、ソースがかかってるだのなんだの気に留めず、喜ぶ。

夫の安定した情緒と食欲は我が家の宝だ。