クリニックに行った日。
母がどうだったとやってきた。
ちょうど身支度をしていたところに来たので「きょう、これから」と教えたのだ。
感想を話す。
なんだかもう今の私には治療という段階は過ぎちゃってる気がした。
でもカウンセラーの方がいい感じの人だった。あの人にもう少し会いたいと思った。
などと話す。
あんまりどんな話をしたかは詳しく話さなかった。母の話もしたので。
すると
「そうよあの頃からでしょ。あなたがいつだったか、様子がおかしくなって、これは持病のほうじゃないってすぐわかったわよ。あの頃でしょ。本当はお医者さんに診てもらった方がいいんだろうなあって思ってたのよね」
というではないか。
「私のせいかしらとか、これでも悶々としたときもあるのよ。でもどう振り返ってもお父さんもいたし、おばあちゃんもいたし、あなた、てんかんもあったし虚弱でいろいろある上にそれ以上またおかしくなったというのもね。あれが精一杯だったんだもん、もう許せって感じよ」
インターネットもなかったし、誰に言えるって話じゃないでしょと笑っている。
力が抜ける。気がついていた。うっすらと感じてはいただろうと思っていたが。ちゃんと知っていたのか。
世間体のためだったか、それだけのエネルギーが湧かなかったのか、たいしたことないと判断したのかわからないが。
そのまま娘は結婚して家を出た。
一晩たって、起き抜けに夫に話す。
なぜあのときの私を放置したのかと憤慨する。
「まあ、お母さんはかなり世間の目を大事にするタイプだから。強いしね」
夫は言葉を選びながら答える。
5分もないやりとりだった。
放置された。のか?
その認識は違うのではないか。
どうしたらいいかわからなかったのかもしれない。
長生きできるのか、発作が起きないようにと虚弱に産んだ次女の扱いに神経をつかって育ててきた。それなのに、なにがどうこじれたのか精神不安を見せる娘。
同居していた姑には知られたくはなかったはず。
母は私のてんかんも隠した。決して誰にも言ってはいけないと教えられた。
怖かったのだろう。
私も若かった母を苦しめてきたのだ。
母も苦しんだ。
彼女自身の人生を辿ると抱きしめてやりたくなる。
感謝に行き着く。
精一杯やってくれた。
甘い記憶も数えきれないほどもらっている。
たくさん助けてもらった。
看病もしてもらった。
出産の時、結婚式の時、入学の時、手作りの洋服、たなばた、お月見、旅行。
今の私がここにいるのもすべて。
一旦、ちゃんと怒りの感情が湧いてよかった。
そこからぐるり一周し、いきついた。
感謝しかない。
やっぱり私はお母さんが好き。
悔しいけれど。