ちくちく小骨

朝の連続テレビ小説が、時代が進み、主人公の娘がちょうど私と同じ年代の舞台設定になった。

部屋に飾ってある小物、履いている運動靴、背中に背負っているキルティングの巾着で作ったリュック、ブラウス、スカート、流行りの歌に番組。

あったあった。こんなだった。

机に置いてある電気スタンドまで自分の使っていたものとよく似ている。

よく集めてきたなあ。

昭和何年代、なんて棚があって、大道具の倉庫に保管されているんだろうか。

いよいよ私も朝ドラを観て自分の子供の頃を懐かしむ世代になったのだ。

懐かしい歌謡曲の番組もいつからか、気がつけばそうなっていた。

ピンク・レディーを息子は元気のいいおばさんグループと思い込み、違う違うとその輝いた時代を夫と熱弁する。

榊原郁恵がアイスクリームと謳っていれば「この人歌手だったの」と驚く。「渡辺徹だって謳ってたんだよ」とどうしても言いたい。

興味なさげに相槌を打つ息子。そういえば私も母が石原裕次郎がいかにスターだったかと太陽にほえろ!のボスしか知らない私に何度話して聞かせても「ふーん、あ、そうなんだ」と、そっけなく返事していた。

めぐるのだな。

朝のドラマは実は辛い。

懐かしい切なさよりも、忘れていた感情がぐわっと込み上げてくる瞬間が突然やってきて、落ち着かない。

あの頃。あの場面。画面から連想して思い出す記憶の中の私は悲しんでいる。

主人公の娘が額を怪我して、その晩、母親に心配させてごめんねと謝っていた。

娘を愛おしそうに見つめたか、抱きしめたか覚えていないが、そんな優しさで受け止めていた。いい場面だ。

 

あのとき。私はそんなこと期待したわけじゃない。

本当にそう思ったから、心配した母を気の毒に思ったから、心配いらない、私は大丈夫、ごめんねと、そう告げたかった。

数組の親子で高尾山にハイキングに行った時のことだった。

下山の途中、調子に乗って小走りした私は転んで道から外れ、木の間を滑って落ちていった。

肘と膝小僧とを深く擦りむきながら数メートルいったところで止まった。

大声をあげて助けを呼んだ友達に気がつき親グループがすっ飛んできた。

母が私に駆け寄った。

「何やってんの!」

「ごめんね、大丈夫、心配かけてごめんね」

甘い感情を期待したわけじゃなく本心が咄嗟に出た。

すると母は近づけていた顔をグッとひき、後ろに振り返りこういった。

「ね、この人はこいう時、こういうこと言うのよ、口がうまいというかずる賢いというか」

そういうと立ち上がり周囲の母親たちに「お騒がせして本当にすみません」とペコペコ頭を下げた。

骨も折れてなかった。応急手当てだけしてそのまま歩いて降りた。

しばらく肘に包帯を巻いていたらしく、包帯の腕を振って回転木馬から陽気に手を振っている写真がある。

本気だったのにな。

ちくっとあの時思ったけど言わなかった引っ掛かりが今頃になって蘇る。

違うのに。本当にお母さんを心配したのに。

懐かしい時代のドラマを見ながら、そんな小さな小骨が絡んだ記憶のかけらがヒュン、ヒュンと次々浮かんでくる。

ちくっ。ちくっ。

もう母のことを恨んでいないのに。

抜けきれていない、溶けきれていない小骨が疼いているだけなのだが。