火の粉は払うのじゃ

金曜日のこと。息子が昼食時も降りて来ずすっと部屋にこもって仕事をしていた。

普段なら遅くとも3時には食事に降りてくるのに。何か緊急事態なのかと気になりつつも放っておいた。

結局その日は夜の9時に昼夜兼用の食事となった。

「くそ。俺、泣いちゃったよ」

2年上の先輩に渡された仕事のやり方に問題があると指摘され、怒られた。

息子としてはもう一人いる先輩に相談し、指示を受け進めたのでいいだろうと思っていたが、仕事を任せた方の先輩の価値観とは違うやり方だったそうだ。

五時間かけてやった仕事をまた一からやり直し、そのため他の仕事も押せ押せになり昼抜きアンド残業となったそうだ。

「それで泣いたの?」

「泣いたって、まさか声を出して本当に泣いたわけじゃないけど、泣きそうになって声がうわずったからバレてる」

おいおい。そんなことで泣いちゃのかよ、おいおいおいおい。

「仕事を1からやり直すのなんてそんなのなんでもないんだよ、いいんだよ、納得いくものを作りたいからその辺は。俺もその先輩が苦手だから違う先輩に聞いたから、そこはまずかったし」

泣きたくなったのは違うことだという。

「その先輩、すぐキレるんだよ。俺だけにじゃないけど、俺は下だからね。罵倒されて全人格否定された。ずっと我慢してきたけど、今回はだめ、涙でそうになった」

はあ。それでその先輩が苦手で違うところに質問しちゃったのか。それも怒りを買ったのだろう。

医者に行くために早退すると「お、デートか」と冷やかすという。

「も、俺、そういうのほんと、やめてほしい」

さすがにそばにいた人が「ダメですよそれ、セクハラですから」と言ってくれたというが、私としては全ての状況に時代を感じる。

打たれ弱い新入社員。

キレやすい先輩。

そしてセクハラを注意したのが男性社員で注意されたキレやすい先輩が女性。

その課をまとめるのも女性課長。

さいせんたーん。

ちなみに私自身、働いていた時に髪を切れば失恋か、早上がりすればデートかと揶揄われたが特になんとも感じなかった。

おじさんがなんか言うとる、くらいにしか思わなかった。

だから息子がどんな言葉を言われて人格まで否定されたと感じるのか、その先輩のどんな言動が辛いのか、聞いてはいないが理解できない程度のことかもしれない。

 

「まあね、会社にはいろんな人がいないとね、特にエンタメ系なら少々クセのある人が意外といい感性してたりとかあるんだろうし」

でも我慢しろとは言いたくない。本当に人格を否定されるような暴言があったのならば、そこは闘わないと。

私の父から受け継いだポリシーの一つに「降りかかった火の粉は自分で振り払え」というのがある。

闘争的かもしれないが、好きな考え方だ。

感情的になったその女性は気分のムラが激しく、課長とも他の先輩とも喧嘩していると言うから

「じゃあ個人的にいじめられてるんじゃないんでしょ。そんなに落ち込むことないじゃない」

私だったらそう処理するが、なんと言われようと一度しおれた気持ちは立ち上がらない。

「あなたの生き方だからどうしろとは言わないけど。辛抱と我慢は違うからね」

コピーを山のようにするのも、会議室の鍵を開けるだけのために出社するのも、先輩の下請けの仕事ばかりなのもそれこそが新人の仕事なのだから辛抱辛抱。実際文句も言わず喰らいついている。

けれどもし、魂が傷つくようなことがあったなら。

闘え。

闘っていい。

そう思う。

我慢して我慢して我慢するのが美徳で立派という意見もあるだろう。

でも私はそう思わない。

「とにかく、絶対味方なのが家にはたくさんいる。あと、傷つくことは決して恥ずかしいことでもないし、負けでもないからね」

なにがあっても大丈夫。気持ちさえ負けなければ。

失敗してもいいから立ち向かっていってほしい。

親バカ母はそう願う。