昨日は内科の検診日だった。
先生にこの数週間にあったことを洗いざらい話すと、丸くて大きな目を更に見開いてメガネ越しにこちらに向き直られた。
自分の病気に精神が連動してしまう症状についても真正面から母と夫に話せたと報告すると机の上にあった印刷機のトレーを開けて紙を一枚だし、図を描きながら説明してくれた。
体の中に魂、臓器、それに付随して障害、難病などの問題がある。
たいてい、問題の方は社会の目を避けようと閉じ込める。これが問題の内在化。
それをカミングアウトしたり、自分の厄介なものとして受容し隠すことなく対応するようになるのが問題の外在化。
私のした行動はこの外在化に当たると教えてくれた。
「僕はね、抱えている問題は、特に心の問題は完治を目指さない方がいいと思うんですよ。なーんかこれ、気がついたらややこしい袋がぶら下がってるわねぇくらいで。適当にその袋をいくつもぶら下げながら自分なりに上手くやっていく方法を覚えればいいんですよ」
私の内科の病状もそうだという。うまいこと手懐け共存していけばいいと言ってくれた。
とっくにそう割り切っていたつもりだったがそれは勘違いで、今回の外在化によってようやくスタートラインにつけたのだ。
母も姉も私に深い愛情を持っている事はずっとずっとずっと昔からわかっていた。
それでも母の暴走と遠慮のない呟きに私は追い詰められた。
苦しいの、もう一杯一杯なのと泣きべそをかいて、抱きしめられて、ホッとして、はい、もう今日から問題解決。とはいかない。
母は変われない。変わるなんて無理だ。それこそが母なのだから。
あれからの僅かな日々の中でも、ああ、やっぱり苦手だなあと感じてしまう。
「それは今の私にはとても難しい事なんだよ」
良かれと思っての提案に勇気を出して答えた。
「面倒な人ね。こんなこと、どうって事ないわよ。やってごらんなさい、せっかく考えたのに」
不満げな顔をし、まあいいわと引き下がった。
気を遣っているのを感じるだけに自分が情けない。何も変わっていない自分に落ち込む。
この母を強く愛しているのに、母に強く愛されているのに。
一定の距離を置かないと上手く付き合えないのは私の抱えた厄介事だ。
この関係も完治させようと思わない。
拒絶したいという思いは消えた。それでいい。
解決しようなんて思うことはない。そのうちそれなりに形がつくだろう。
ちょっと期待していただけに、ちょっと寂しいが、親子ってそんなものかもしれない。