たかだか膝の皿の骨を折ったくらいでも頭と身体がついてくるのには時間がかかる。
木曜にやらかして日曜の今朝、やっと順応し始めた。
これは運動神経や反射神経の優劣にも関係しているのか。
思えば子供の頃から変化にすぐ馴染めなかった。
卒業式やクラス替えも当日別れを悲しんで泣いている友人を見てもそこまでではないなあと眺めていた。
そのくせ、周囲がそれぞれの新たな世界で溌剌とし始めた頃、新しいリズムや環境に馴染めず昔を振り返りたがった。
父が亡くなった時もそうだった。
当時は息子がまだ2歳なりたてだった。ある日突然家の中に黒い服をきた人たちが集まり、異様な空気の中、泣いたり、酒を飲んでよっぱらったり、あるいは異様に明るく幼い子供を見つけると話しかけ必要以上にかまったりするのだからきっと幼児にとっては恐ろしいことなのではないだろうかと考えた。
私だけはいつもと変わらずいよう。
それが彼のメンタルを守るための最善と信じて、悲しみを封印した。
葬儀の時もお骨になった時も悲しいけれど実感はなく、涙も出ず淡々と日常に戻った。
父親っ子のつもりでいたのに我ながら強いもんだと思っていたが、半年を過ぎた頃、風呂場で突然、なんの前触れもなく込み上げてきた。
おとうさーん、おとうさーん、おとうさーん。
シャワーを頭からかぶって初めて声を上げて泣いた。
状況を理解して脳が反応するのにいつも時間がかるのは私の癖だった。
足が痛い。
動けない。
イラつく。落ち込む。
この程度で済んだ事がしみじみありがたい。何かに守られている気がする。
足が曲がらない着替えもトイレもコツを掴みつつあると少し気持ちが晴れてきた。
洗濯物を干せない、風呂を洗えない、食事を運べない。
みんなやってよ。やってくれる?頼んでいい?
周囲の優しさも払い除けない。
夫の鬱陶しい何処かピントのずれたサービスもありがたく受け取る。
もう昔のように気を張って、なんのこれしきとする気力も湧かない。
これまで私が体調や精神を崩すとため息をついて嫌な顔をしていた母は、意外なことにその程度ですんでよかったと抱きしめた。
姉は全く毎年暮れに何やってんのと言いながら、何かいるものあるなら買って帰るよと職場から電話をくれた。
二人ともどうしちゃったのだ。
抱きしめられるままにしていた。
コンビニでNetflixのプリペイドカード買ってきてと甘えた。
いつの間にかそんな世界の中に私はいた。
知らないうちに世界は変わっていたのか。
私が変わったから連動して変わったのか。
昔からそうだったのか。
同じ顔ぶれのよく似た世界だけど、違う次元の世界にワープしたようなふわふわした感じだ。
新世界はちょっと不安だ。
ここはこのまま委ね切っていいところだと、そう感じるけどまだちょっとおっかなびっくり歩いている。
でもなんだか強く感じるんだ。
もう怖いものは出てこない気がする。
神様やるなあ。これに気づきなさいよということだったんだなあ。