捨てられぬ

思い立ってあれこれ断捨離をしている。

本当は家中さっぱりさせたい衝動に駆られている。特に夫の机周り。

机の下にサッカーとラグビーの雑誌と参考書、手付かずの空箱とチラシに・・あうっ、こうして頭の中でその映像を思い描いただけでもちゃっちゃと片付けたくなる。

何年も前の旅行のパンプレットなんて持っていても何の意味もない。念のため申し上げるが、このパンフは旅先で手に入れた資料でも、旅本でもない。旅行代理店の店頭によく置かれている、これから旅に出ようかなあという時にもらってくる、あれである。

それだけで一冊雑誌ができそうなほどあるが、これらが活用されたことは一度もない。

カナダとかハワイとか、ドイツとか、九州の温泉とか北海道とか。

眺めて終わる。

忙しすぎるのだ。彼は。

そして私も虚弱すぎるのだ。

なので旅に連れて行ってもらえないという怒りはないが、どうしてこれを大事に大事にとっておくのか理解できない。

捨てろといえば、まだ見るという。何年も前のもうとっくに期限の切れたツアーを見るくらいなら、処分してまた最新版を手に入れ眺めた方がずっと現実味のある夢がみられると思うが、捨てない。そして、明らかにこの数年、見ちゃいない。

しかし、いくら夫婦といえど、たとえ、明らかに無用と思えるものでも勝手にどうこうするわけにはいかない。

そういう私だって彼からしてみたら何が面白いんだと不思議に思うメモ帳や便箋や、ただ綺麗なだけのリボンや缶など、なくても困らないものを捨て切らず抱えている。

この先も使わないだろうなあと自分でわかっているのに、所持し続けているもの。

ランチョンマットとテーブルクロス。

子供が小さい頃、お友達やそのママたちが三日に一度は家にきた。

小さな幼稚園だったので呼ぶとなるとほぼクラス全員が「僕もいい?」「うちもいいかしら」とやってくる。

幼稚園からそのままお子様達をお預かりし、3時過ぎ、ばらばらとお迎えがてらママ達もやってきて、お茶をするのが習慣だった。

そのサロンと化す部屋をちょっとでも飾ろうと、可愛いものを見つけると買っていたその名残りだ。

今にして思うと相当背伸びをしていた。

お客様が来ない日も素敵な我が家を演出したくて使っていたが、息子がリビングで勉強するようになってから邪魔だと言われ引っ込めた。

クロスを外した木目のテーブルの方がずっとさっぱりしていて、素朴で生活感があって好みだと気がついた。

また息子が大きくなったら使おうと大事に仕舞い込んだが、大学生になっても社会人になっても木目にたくさん傷のついたテーブルはよけい、いとおしい。

それらを試しに広げ、かけてみた。

なんでこれを素敵と思ったのか。

どれもこれも甘ったるく、らしくない。

頑張ってたんだなあ。私。

若い私がアップアップしながらなんとか素敵なママになろうと挑み続けていた頃を思い出す。

きゅん。

いいんだよいいんだよ、完璧じゃないそのまんまで。力を抜け。

タイムマシンで飛んでいって抱きしめてやりたい。

広げたクロスを綺麗に畳み、また、食器棚の下の段にしまった。