朝目が覚めると「ブっあー・・・」。
なぜか私の目覚めと同時にいつもオナラする夫。
ぶっの後に感嘆の「あー・・・」が腹立たしい。
おはよう。おはよう。
まずは洗面所に行き、かーっぺ。
これは本当に嫌だ。
これらが聞こえてくるようになったのはいつからだろう。
結婚当初は無かった。気がついたら私の生活する家にあってはならぬはずの音が、当たり前のように定着していた。
「もうやめてヨォ」
「あ、ごめんごめん」
が、
「もうっ。やだって言ってるでしょっ」
「あ、はいはいごめん」」
になり、今では
「テッメー」
「ふふふふ。ごめんなしゃーい。ふふふ」
になっている。
デリカシーがない。
ビュッフェも皿に山盛りだし、アクションものでない映画は必ず寝るし、美術館もベンチで寝る。誕生日もクリスマスも結婚記念日も全部「おめでとう」だけだ。
二人でドライブをしていた。
ラジオからやっと子供を授かったと喜びを伝えるリスナーの報告が流れた。
私も一度流産している。息子もやっとの想いで授かった。
「今は息子が生まれてきてくれたことで私の人生は豊かになったし、何よりも大切な存在だけど、正直あの頃は子供が欲しいというよりは孫を産まなくちゃっていうので必死だったよ」
父の癌が再発し、姉は離婚したばかりだった。
孫を産めるのは私しかいない。父が健在のうちになんとしてでも抱かせてやりたい。おじいちゃんにしてやりたい。
そんな中の流産は悲しみよりも申し訳なさでいたたまれなかった。
あんなに喜んでいた父になんと言ったらいいだろう。
何をやっても人並みにできない自分が情けなかった。
「あの時さあ、トンさんが親父さんにごめんなさいって言ったらさ、納豆かき回しながらなんでもないような顔で言ったんだよね。『そんなになんでもかんでもうまくいくもんじゃありません』ってさあ。あれ、親父さんの優しさなんだよなあ。いいよいいよとか、大丈夫とかじゃなくて、そんなになんでもうまくいくもんじゃありませんってさあ」
ここ。
デリカシーがないくせ妙なところは押さえてる。それは私にとっては大事な大事な小さな点。
合わないなあと思うところ満載の人だが、思いがけない瞬間、ふっと私を救う。
それは誕生日プレゼントなんかより沁みるのだ。
彼は今日も元気にブッとやっておる。