妻に先立たれた夫が彼女の残したレシピを試行錯誤しながら作り食べ続け、18年経ちやっと元気になったというエピソードを読んだ。
美しい。妻の筆跡を懐かしみながら、年季の入ったノートをめくる。お醤油のシミとかあるのだろうか。それともその日を覚悟して綺麗に清書されたものなのだろうか。
レシピノートがない。オリジナルレシピもない。
正確に言うとバインダーにいくつか、ある。
結婚当初は作った料理でうまくいったものは本から写して記録した。ちょっとうちにはしょっぱかった。お肉少なめでも結構なボリュームとか書き添えて我が家の味を再現できるようにした。初めて作った黒豆、栗きんとん。だしの取り方。
そうやって書き溜めていくごとに自分が素敵な奥さんに近づいているようで、嬉しくてやっていたのだがめんどくさくなってやめた。
レシピノートを書いてる私、っていう図に酔ってやっていたので、そんな不純な動機では長続きするわけがない。
料理好きな人が、家族のために自分の覚書として残すのが目的なら、どんなに忙しくなろうとメモ書きにしてでも続けたろう。
今となってはクックパッドで評判の良かったものをフォルダにストックしてあるからそれでいいやと平き直っている。
この数年、うちの定番だねと言われている伊達巻も毎年ここから引っ張り出している。
息子が絶賛したロールキャベツもりんごケーキも、母に褒められた鶏のはちみつマスタード焼きも、夫がこれ美味しいと喜んだ肉団子のスープも、全部、ここ。
毎回どこかの誰かが教えてくれたものをその通りにやっているだけなのである。
この先、息子が巣立って「母さんのあれ、どうやって作るの」と聞かれたらそのリンクを送るのだろうか。恥ずかしい。
たまに即興で作ったものが偶然皆の口に合うことがある。
そういうものこそ、覚書で残せばいいのだろうが、いい加減にやったから大さじも小さじも、何を入れたかすらもうまく思い出せない。
「よく覚えておきなさい。母さんの味を。もう二度と作れない貴重なものだからね」
私のヒット作は一期一会だ。
夫が私の味を懐かしんで食べたいと自分で台所に立つことはまず考えられない。
私が寝込むと「僕何食べよう」とコンビニに行って自分のものだけ買って帰ってくる人だ。
それでもふとあれ食べたいなあと思うものがあるとしたら、あれだ。
バーモントさんの中辛を鶏肉で箱の裏通り作るあれ。
隠し味も何も入れないあれ。
母の味って、憧れる。