昨日、ちょっと勇気を出して近所の喫茶店に入った。
インスタグラムでたまたま最寄りの駅名、カフェというハッシュタグで見つけた。
落ち着いた雰囲気の、家から歩いて10分もかからないところ。
写真から伝わる空気感がどれも穏やかで、ゆったりとしている。
ご高齢の夫婦だけでやっている小さな一軒家のお店。
こだわりの豆で入れたコーヒーが600円。手作りのケーキとオーガニックのジュース。厚切りバタートーストは400円、いちごジャムを添えると450円。今の季節は焼きリンゴがおすすめなのだそうだ。
店内の写真だけでなく、散歩の途中で見つけた公園の花、夕方の空などもアップされているところにもマスターのお人柄と雅さを感じ憧れていた。
店の在処は確認済み。
そう、本屋だけでなく何事にも下見を要す。何度も何度も店の前をウロウロし、ついに昨日、やっとの決心で出かけていったのだ。
246の脇を入った小さな美容院やケーキ屋さんのある小道に、よく見ると、さらにほっそいほっそい幅1メートルほどの路地がある。木製の椅子にそっとお店の名前を白いペンキで書いた木の板と、小皿に名刺サイズのカードが乗せて置いてある。そこを恐る恐る入っていくと・・・あれ、小料理屋さんしかない・・・と思ったその先に御伽噺に出てくるような小屋ががある。
そうっとドアを開けるとそこは異空間だった。
入ってすぐ、レコードプレーヤーが目に入る。
静かに流れるジャズと、オレンジ色のランプ。5人しかかけられない木のカウンター、赤いビロードを張った椅子と机。12畳あるかないかの小さな小さな店内は、まるで誰かの家のダイニングに迷い込んだようだった。
「いらっしゃいませ」
低く、静かな声で迎えてくれたのは写真で見たマスターではない。奥様だろうか、染めていないたっぷりある銀髪をゆるくアップにしている。生成りのエプロンに白いシャツと白いゆとりのあるパンツ。
想像以上に完璧・・・。
店の奥には黒縁メガネの中年男性が白い紙の束を読んでいる。書類だろうか。原稿だろうか。
他には誰もいない。誰の話し声もない。
ここは。聖地だわ。
こんなところで無粋にiPadなんて広げてはならない気がする。
持っていた単行本を取り出し、ブレンドコーヒーをお願いした。
カウンターの後ろにはウェッジウッドやマイセンのカップが並んでいる。
あ、アルコールもある。夜はお酒も出すのか。
私には小さな小花模様のが出された。
そんな雰囲気に見えるのだろうか。自分がそんな印象を与えたのかもしれないと嬉しくなり、おもむろに本を開きその気になって演じる。
ここでは物静かで、趣味は読書で、夫にたて着くなんてこと絶対にない女性・・って路線でいきたい。
普段そんなこと滅多にないのに、読んでいる本が切なくて涙が出そうになる。
こんな気持ち。学生の頃みたい。
全てにうっとり浸っていると、奥にいた男性客が席を立つ。
「・・・・ですか?」
「ええ。秋になってきたので、そろそろこれがいいかしらと思って」
「いいですよね。名盤ですからね」
BGMでかかっている曲についての会話だろうか。「名盤ですからね」と言い残し店を去っていったその人までもが素敵に思える。
その世界に今、自分がこうして落ち着いて居るということが誇らしい。
レジを済ませた奥様は、カウンターのすみの丸椅子に腰掛けた。
そっとポケットから何かを取り出す。
両手でそれを眺めている。時々メガネを上下にし、また見入る。
なんだろう。文庫本か、レシピか、友人からの葉書か。
本を読むふりをして覗いてみた。
奥様の両掌にすっぽり収まっていたのはなんと。
バリバリiPhoneなのだった。シューっシューっと慣れた手つきでスワイプしていた。
お茶目な奥様とジャズと、オレンジのランプ。
ここ、隠れ家にしよう。