新年の挨拶

昨日は結婚記念日だった。28年。

まだまだひよっこ夫婦だが、25という数字を3っつも超えたんだと変な感慨と小さな自信が込み上げる。なんの区切りの年でもないのに。

「28年、もった」ことを奇跡的に思う反面、当たり前のことのようにも思う。

やはり、夫に心の負を全部晒せたことことが大きい。

これまでも全身全霊で感情をぶつけてきたつもりだったが、最後の最後の意地の部分は死守していた。が、これでついに丸腰だ。

夫婦としてもうだめかもしれないと思う時期もあった。

しかし感情のセーブをしなくても大丈夫と安心できる相手は彼しかいなかった。そのことだけが「この人を手放しちゃいかん」と何度もとどまらせた。

「じゃあ、28年前の今日、二人は結婚したってわけか」

息子が言う。

「ちょうど、今頃、披露宴の前、結婚式の準備で大騒ぎだった頃だよ」

「あ、あのパーティみたいのが結婚式じゃないのか。披露宴か、あれは。結婚式は別の日でもいいのか」

そうだよ、披露宴はしない人もいるよ。結婚式だってあげない人もいるけどね。そんな話をしていたら息子が素朴な疑問を言った。

「じゃあ、本当の結婚記念日は婚姻届を出した日なんじゃないの?それはいつ?」

「!」

いつだろう。確か、数日前だったか、数週間前だったか、週末に新居の近くの区役所に二人で行った。平日ではなかったので休日用の受付窓口に出した。不備があったら受け付けてもらえないので、何度も何度も確認したのは覚えているが、あれは何月何日だったろう。

新婚の頃は婚姻届記念日も覚えていて、前夜祭のように小さく祝った。

「アレェ。いつだろう、本当に」

「おいおい、大丈夫かよ」

結婚してすぐ、父の癌の再発が見つかった。もういよいよダメなんだと悟り、一度だけ夫の前で嗚咽して泣いた。狭い2D Kのアパートの6畳の部屋にしゃがみ込んで「えーんえーん」と我ながら幼児のような鳴き声だと思いながら泣いた。夫は突然泣き出した奥さんの扱いに困り果て、ただただ背中をさすってくれた。気の強い若妻は一通り泣くと「はい、ありがと、もう大丈夫」とすっくと立ち上がり皿を洗い出す。負けちゃいけない。迷惑かけちゃいけない。私の意地っ張りはここから始まった。

父の闘病と同時進行で姉の離婚、実家の引っ越し新居建設。病名を知らない父に二世帯同居を誘われる。

やっと母から離れたと思っていたのにと嫌だった。が、父親っ子だった私は後悔したくないからと夫に頼んだ。1日考えさせてと言い、翌日、いいよと言ってくれた。

アパートからの引っ越し、私の流産、出産、父の死、次いで同居していた父方の祖母の死。

翌年から息子が小学入学し、サッカー、塾、受験、私の入院、鬱、息子の反抗期、大学入試、夫の単身赴任、息子の転学科試験、就職活動、夫が戻って息子卒業、就職。さあて、と思ったらまさかのコロナで二人揃って在宅勤務。

どの辺りからだったろう。私の誕生日も、クリスマスも結婚記念日も「とりあえずおめでとう」と言われ通過するだけになった。

私はいつもするのにと、プレゼントをめんどくさがって「ごめんねぇ」と笑って誤魔化されるのが不満だった頃もあった。

どの辺りからだ。それももう、どうでも良いこととなった。

ビューンと走り続けてきたなあ。

「トンさん、結婚記念日おめでとう。結婚してくれて本当にありがとう。これからもおじいちゃんおばあちゃんになるまでよろしくお願いします」

昨日の朝、ベッドから起き出してお辞儀をしてくれた。

私なんぞに向かって、大真面目にこんなふうに言ってくれる人ってそう居ないんだと、やっと、ちゃんとわかるようになった。

全部取っ払ってしまうとシンプルになる。

大事なひと。

「こちらこそ。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします」

私もお辞儀をした。

まるで新年の挨拶のようだった。