ちゃんと親子になれた時期

朝のテレビ番組で女流作家が子供の反抗期の話に

「ありましたよ。でも一緒に登山しようと誘うとその時だけはぽつりぽつり会話をして・・」

と言っていた。朝食を食べながらそれを観ていた息子がボソっと呟く。

「親と山登りして会話するなんて、そんなん反抗期とは言わん」

台所にいた私はすかさず突っ込む。

「まあ、壁に穴の一つでも空けないと反抗とは認めないよねぇ」

「むろん。そこまでやっての反抗だ」

今でこそ落ち着いたおっさんのような彼だが、中学から高校に上がる頃の荒れっぷりは酷かった。口を聞かない。部屋にこもってゲームをする。学校の宿題もしない。勉強もしない。食事も一緒に食べない。

世の中の決まりは守るものかと固く決めているようだった。

上位一桁だった成績も二桁に、あっという間に三桁に。

その三桁も限りなく下へ下へとあっという間に落ちていった。

笑いがなかった。いつもいつも重く暗く、ピリピリした緊張感が立ち込めていた。

宿題や勉強はいくらこっちが言ったところで本人がその気にならないとやらない。頑固で意地っ張りな性格だが、根は心配性で真面目なところもある。ある程度になったら「やばい」と自分でなんとかしようと焦るだろう。

心根がひん曲がっていないか、荒んでいないか。

心の大事なところがやられていないか、それだけが心配だった。

ネット上で見知らぬ年上の人たちと繋がっているのも気にはなる。臆病なところもあるから、そうそうおっかない相手には絡んでいくまい。

今の息子が求める世界が、今の私には理解できないが、きっとそこにあるのだろう。

時期が来たら絶対、軌道修正に取り掛かるはず。

もし、その時が受験に間に合うよう来なかったら。

それは。その時は、私の負けだ。

それまでの彼に接してきた私のやり方が、そうさせたということだ。腹をくくろう。

 

ある日、それが何が原因だったか、今となっては全く思い出せないが、息子の部屋で揉めた。

多分、もう寝ろだとか、ゲームの時間が長すぎるとか、そんな注意を私がしたのだろう。

 

10時過ぎたらWi-Fiを切ると約束していたから、誰かと通信中、急にネットが繋がらなくなってブチギレた、そんなことだったような気もする。

荒れ狂うと物に当たる。それがいつものことだった。

椅子を蹴る。ベッドを蹴る。第一段階。

家具をずらす。第二段階。

根っこの部分はいい子なので怒りにまかせ、めちゃくちゃに倒すことはしない。頭の片隅で無意識のうちに後始末のことを考えている。うちの母親は何日経ってもそのまま放置で、絶対に片付けたりしないから。

たいていはこの第二段階で収まったが、その日はどうにもこうにもマグマの持って行き所がなく、そうかといって母親を殴るわけにもいかず、持て余したものをぎゅうっと握り拳に詰め込んで壁に力一杯ぶつけた。

どかっ。

片手の一発だったが、べこっと凹んだ。

あ、と同時に思ったはずだが、どちらも「今はそれどころじゃねえ」と戦いを続けた。

これ一度きりだった・・・とはならず、お恥ずかしいがもう一回ドアに、それからもう一回、洗面所の引き戸に、ベコっと凹みができた。

反抗期が過ぎても、そのことについて互いに話しはしなかった。

どうしてくれるんだとも言わなかったし、向こうもやり過ぎた、ごめんとも言わなかった。

穴は敢えてそのままにした。覆い隠すこともしなかった。

大学生になった頃、彼の部屋に洗濯物を届けに行くと、勉強をしていた。

「おお、隠れて勉強するようになるとはなあ」

「あっち行けよ」

「人って進化するもんだなあ、あの頃が懐かしいわぁ」

わざとらしく壁穴に視線をやる。

「なあ。この穴、いいかげん、修理しようぜ。カッコ悪くてしょうがない」

「いやよ。この家を出て行くまでに自分のお金で修繕してもらうんだから」

これは勲章だ。

取っ組み合いをしながら、どこかでホッとしていた。

小学生の頃、何をするんでも私に許可を求めた。

キツキツ律しすぎたのかもしれない。体調も一番悪かった時でよく寝込み、外に連れ出して一緒に遊ぶことも少なかった。

うちのお母さんはなにかあったら簡単に壊れるんじゃないか、死ぬんじゃないか。そう思っていたのか、事情を説明するといつも「いいよ」と聞き分けた。

これしていい?

これやったら困る?

なんでもやりたいようにやればいいよ。そう言ってやればよかった。その余裕がなかった。

具合が悪い時にわけのわからないこと我儘を言われると、怒鳴りこそしなかったが苛ついた。

きっとそれも感じ取っていたのだ。

いい子だから。

僕がお母さんを困らせちゃったと自分を責め、悲しくなっては我慢するようになっていったんだと思う。

いい子だから。それに甘えてしまった。

だから思春期になって、ずっと抱えていたものを爆発してくれて嬉しかった。

あのとき不完全燃焼だったものが今、メラメラと燃えている。

もう我慢ならんとフルパワーでぶつかってくる。

親子のバトル。睨み合い。取っ組み合い。壁に穴。これぞ、子育ての醍醐味。

その渦中でも、どこかで喜んでいた。

 

「あの穴、いつ直すんだよ」

思い出し、今朝も息子が言う。

「いつまでも待ちますよぉ、お給料もらうようになったんだから」

「ま、あれはメモリアルってことで」

そうだね、証しだね。