朝起きて、顔がパンパンなのを確認する。
手の指も膨れて何か一枚かぶさっているようなのも昨日と同じ。
昨日と同じっていい。状態が良くなくても昨日とおなじなのはいい。
「昨日もこれでやったしな」
慌てない。
何かあって落ち込んだり傷ついたりするのは
「私はこんなんじゃないっ」
と受け入れることができないからなんだろう。
母に「あなたを産んだのはお姉さんのため」「あなたはどうでもいい、お姉さんが大事」と面と向かって言われた時は悲劇のヒロインのようにドヨーンと落ち込み、隠れてさめざめと泣いたが、それも衝撃だったためだ。
嘘だ、そんなわけないっ。
じゃあ、どうすれば私も認めてくれんのっ?
あれこれジタバタする時期も長く恨んだり、さまよったり、無気力になったりしたけれど、何をやったところでそうそう人の考え方は変えられない。
一番簡単なのは自分の方を変えることだ。
どこかで自分を過大評価しすぎていたんだろう。
今じゃ、その辺はどうでもいい。まあ、ちくっとくることもまだあるけれど、基本、どうでもいい。
よくよく考えてみたら、投げ出さず、手をかけて育ててもらった。
それに悔しいが、結局私は母が好きなのだ。
あれ、浮腫んだ状態になれっちゃったから、今朝の顔パンパンにもさほど動じなくなったという話から脱線した。
パラリンピックで障害を力に変えて、努力し向上している選手を知ると己のぐうたらな発想が恥ずかしいし、私なんぞの抱えていることなんてちっぽけでここで並べるのもおこがましい。
でも私のやり方は「このまんまでもいっかぁ」に行き着いた。
改革を求めて頑張った時もあったけど、疲れちゃった。
このまんま、争うことなく流れにのっていけばいいように思えてきた。