使わなくては意味がない

もったいなくて冷凍食品が使えないという話を以前書いた。

そうなのだ。私はもったいながる。

昨年、来年着ようと夏の終わりのセールで買った700円のユニクロTシャツも、もったいなくて着られない。相変わらず捨てるはずだった、色褪せ生地がくたんくたんになったものをしぶとくき続けている。

台所では、百均で買った綺麗なタオルが引き出しに眠っている。

御膳を拭く布巾がどれもヨレヨレだったので、こざっぱりさせようと買ったのだ。しかし昨日使っていたものを雑巾に格下げするのはタイミングが難しい。

えいやっと心を決めてやらないと、なかなか新品をおろせない。

いっつも見窄らしい格好をしていると、母が買ってきた服も、もったいなくて

「お出かけの時に着る」

としまったままだ。

新品に弱い。

どんな安物でもサラのものをおろすのが、惜しいのだ。

取っておけば、「いつか使うんだ」というワクワクはそのまま保存される。

一旦、使い始めるとその楽しみが減ってしまう。

それが、もったいなくて。ついつい卸すのを先延ばしにしてしまう。

「せっかく買ってあげたんだから着なさい」

母に叱られ、唯一のお出かけの病院にそれを着ていくのだが、次の検診までそれはまた、タンスに仕舞われる。

古着ならどんなにそれが上等なものだろうが、バンバン着ることができる。

祖母の形見のイギリス製のカシミヤのカーディガンも、母のお下がりの麻で、袖口に綿レースのついたブラウスも、シミをつけ、ガンガン洗っては、また袖を通す。

そして「やっぱり上等なものは着心地がいいんだなあ」などと感心しているのだ。

700円の新品シャツが惜しくて、古着の麻のブラウスを身につけながら洗面所の棚を整理していた今、とんでもないものが出てきた。

薄いガーゼの袋に入った、新品の、しかもブランドの、トイレの便座カバーとマットとタオルのセット。

息子が幼稚園のとき、先生が家庭訪問に見えたり、お友達が遊びに来てそのお迎えに集まったママたちがお茶をしていくことが多かった。

その時用にちょっと素敵なカバーを用意しておこうとバーゲンで買ったのだった。

しかし、やはりいざとなると「きちんと掃除してあるし」ともったいながって使わなかったため、未だ、ここに収まっているのが発見された。

幼稚園児も既に髭の生えた社会人。

・・・。

そうかといって100円のタオルですらなかなか使えないのに、ブラントのトイレマットを即座に使う度胸がない。

お客様は当分、こない。おそらくずーっと、こない。

ヒラヒラのついたパステルピンクのマット。こんなのが素敵と思っていたんだなぁ。

今、うちのトイレにはカバーの類は置いていない。タオルとスリッパだけがある。

使わないのが一番、もったいない。

ヒラヒラ好きな母にあげようか。

どうにかしよう、この癖。