僕もそうですよ

昨日は病院だった。

どうですかと、さっと私の顔や動作を覗き込む。

診てくださってくるんだな。患者としての今日の私の印象を、一瞬のうちにどうご覧になっただろう。

「で、どうです?」

どうかと問われても、この数ヶ月、小さな不具合ならいろいろあったが、どれも症状として伝えるほどのことじゃないように思う。

例えば突然、何もしたくなくなる程だるくなるとか。

眠れないのは薬のせいだからしょうがないことだし。

「自分では低空飛行ながら落ち着いていると思います」

それはよかった。心臓の方も落ち着いているみたいだしねと先生も頷く。

「あの、つまらないことなんですけれど」

迷ったけれど、打ち明けた。精神的にギリギリのところにきているような気がずっとしている。

こんな状況でなかったらカウンセリングに行きたいと思う時がある。

「もう自分を誰かと比べたり、ジャッジするのはやめようと決めたのに、それでもどこかベース、自分は出来損ないなんだと思っていて、ときどきどうしようもなく・・苦しいときが・・あるのです・・が」

「ほう」

首だけこっちで話を聞いていた先生が、カルテの入力を止め、椅子をクルっと回転させこっちを向いた。

「個人的な誰かとっていうのじゃなく、漠然と誰もが。知らないブログの人でも、スーパーやコンビニの店員さんも、宅配の人も。みんな自分より立派だと恥ずかしくなると言いますか・・ひどいときはテレビのドキュメンタリーで社会貢献している若者の特集なんかでも苦しくなって観ていられなくなるんです。自分でも私は何と闘っているのか、誰と比べているのか、どこに向かおうとしているのかわからないんですけど」

「あっはっはっはっは。何と闘うって・・あはははは。面白い。」

先生は愉快そうに声をあげて笑った。

 

「それ、人間として正常です。人間は他者と自分を照らし合わせ比較して、自己を見出すようにできているんです。いやでも。誰もがそうなんです、誰もが。そういうつくりですから」

そう言われても。

SNSの閲覧では、そんなことよくあると聞くが、いくらなんでも宅配の人やテレビ画面の中の人と自分を照らしてどんよりするのが日常とは、若干ノイローゼじゃないかと思っているから、簡単に納得できない。

誰もがって、じゃあソフトバンクの孫会長もそうですかと本気で問いたいが、さすがにそれは幼稚すぎると控えた。

孫会長が人に比べて僕は・・なんていじいじしている図はどうやっても浮かばない。

彼が苦しんでいるとすればトップをキープするための苦痛や、背負っているものの大きさとかじゃないだろうか。

「何をもって優っているかですよ。どこに焦点を当てているかは人それぞれ違いますからね。僕だってありますよ、ああってなるときが」

「先生も?あるんですか?」

「ありますあります。そう言うときはね。あのね、僕は宇宙を思うんです。空はあれ、実はもろ宇宙でしょ。空を見上げて宇宙から逆に自分を見るんです。そうするとああ、自分がどうこうしようが、悩もうが笑おうが優越感も劣等感も、星屑よりちっちぇえなあってなるわけですよ」

宇宙。

先生の口から宇宙から見たらちっちぇと出たことに驚いた。

その考え方は私自身が心を整えるときに持ち出してくるやり方と全く一緒だ。

先生と私とでは抱える問題のスケールは違うだろうが、最終的に行き着く思考が同じなんだと知り嬉しくなった。

え〜っ?先生でもそんなときあるのぉ?どんなとき?どんなふうに?

・・・と突っ込んで聞きたくなったが、グッと控えた。

先生も。

そうなんだ。