テレビを聴きながら朝食の用意をしていたら、
「これ見たら、何だか自分の抱えたものなんて小さなことに思えてね」
女性の声がした。
一体何を見たんだろ。
『神を象った土人形・・』ナレーションが聞こえた。神様かあ。
画面が変わらないうちにと急いで手を止め、テレビの前に移動した。
目に飛び込んできたのは陽気に笑う可愛らしいおじさん。
両目尻を下げ、ほっぺを光らせ口を開き笑っている。
もう愉快でたまらないという表情で、正直、民の行いを上からじっと見つめている不思議な力を持った・・などというふうではない。
どちらかといえば、村の祭りをちょっとイッパイやりながら楽しんでいる、気のいいおやっさん。
軽い衝撃だった。
神様って、こんなだったの!
難しく考えれば、それぞれのイメージする姿こそが、その人にとっての神の姿なのだろう。
しかし、こんなお姿はこれまで一度も私の中には浮かんだことはなかった。
間違ったことをしていないかと目を光らせ、人間が悪いことをすれば心を痛め反省を促し、ひっそり頑張っている者も決して見落とさず、時にご褒美をチョンっとくださる。
困り果てて願いを念じれば、「うーむ」と神妙な顔をして、それが本当にその人のためになるかと熟考したのち、「よし、叶えてしんぜよう」と深く頷く。
白髪で、たっぷりと髭を蓄え、白を基調とした衣を身に纏い、ゆっくり厳かに音も立てず、周囲には雲を漂わせ、静かな笑みである。
それがどうだろう、テレビの中の神様は真っ黒な髪でご陽気に、宴会の真っ盛りのようなお顔でこっちを見ている。
今にも扇子を広げて踊り出すんじゃないかと、そんな感じだ。
この神様、きっと何か悪いことをして懺悔をしても
「あ、そうなのぉ?反省しちゃってるの?」
と、それが良いとも悪いとも言わず、対応なさるだろう。
大抵のことは「いいのいいの、大丈夫大丈夫、いいんだよ〜」と面白そうに笑うんじゃないか、このお方は。
そんな気がした。
人間という生き物が何かやらかしながら、ああでもないこうでもないと日々暮らしているのを、高いところから面白がって眺めている、もしかしたらすぐ、その辺にもいつも来ている。そんな存在なんじゃないだろうか。
サスペンスも、ファンタジーも、お笑いも、哲学も、芸術も、何でも揃ったこの世界を。
眺めている。楽しそうに。
決めた。今日から私の神様のイメージはこれでいこう。
これまで自分の身に辛いことが起こると「何か間違っていると知らせようという合図かな」と考えてきた。
でももっと、もっとこの世界は優しく、暖かく、面白いんだ。
起きている現象に意味はなくて、それをいいとか、悪いとか、ひどいとか、得したとか損したとか捉える私たちがいるだけ。
「ほーう、そう考えとるんかぁ。面白いやっちゃなあ」と、あれこれ思い巡らし、興奮しながらパコパコキーボードを打っているこの私のことも、きっと愉快そうに笑いながら眺めているんだろうな。