困った君参上

尋常じゃない洗濯物を持って夫は帰ってきた。

夕方4時。10時にホテルを追い出されて、食事を取ったり休憩をしたりしてもこの時間は遅い。

高速を使えば3時間のところ、下道ドライブを楽しんでゆっくりゆっくり向かってきたのだ。

そうそう。やると思った。その昔、東京から和歌山まで乳幼児だった息子を連れて会社の寮に泊まりに行こうという時も、頑として車で行くと言い張り、8時間かけて夜に到着し、運転で疲れた夫は旅先でずっと爆睡し、どこにも観光しないで終わったのだった。

鳥取に出張の時もそうだった。やっぱり車で行き、これから帰ると連絡したきり、一向に帰ってこない。携帯も繋がらない。ただいまとインターフォンを押したのは深夜1時過ぎ。

「せっかくだから砂丘見ようと思って。それから下道で帰ってきたんだけど、途中、道に迷っちゃって。」

エヘヘへと嬉しそうに言うのだった。

あ、いかん、のっけから恨み節になってしまった。

 

山のような洗濯物を受け取り、洗濯機を回していると、とんでもないことを言い出す。

「あのさ。明日、TOEIC、受けに行こうと思って・・」

なぬ?緊急事態宣言だぞ。

「およしよ。今、人混みに行くの。免疫も落ちてるかもしれないし」

「行くもん」

よく話を聞けば、出張先では到着時、中日、そして昨日、3回検査を受けたらしい。全て陰性だったが、万が一仲間の誰かが、これから先二週間の間に発症した時のために簡易検査キットを一つ、渡されてきたと言うではないか。

「体温も二週間測り続けてくださいって」

「そんな偽陰性の状態で、試験会場行って良いわけないでしょう」

「行くんだもん、大丈夫だもん」

それからが大変だった。

夕飯をとりながら息子と二人、会社からどうしても明日受けるように言われているテストでもない、半分趣味みたいなもの、今行かないとならない理由なんてないだろうと、説得にかかるが、「行くもん、仕事、頑張ってきたんだもん」と言うことを聞かない。

普段なら、しようがないと、黙って送り出すが、今回はそういうわけにもいかない。

「第一、今、試験を受けに行く人はそれこそ、仕事を失くして再就職のためにとか、コロナ禍での就職活動にせめてTOEICの点数を上げておこうとか、本当に切羽詰まっている人がいるんだよ、そんな人たちにもし、発症する前のあなたが感染させたらどうするの。向こうで事務所の中にじっとしてたんじゃなくて、被災したお宅を何件も出入りしてきたんでしょ。いろんな人に会って。第一、明日だって、あなたみたいに、いいやいいやって本当は不安要素もあるのに受けに来る人がいて、その人とトイレやどこかで接触して、感染したらどうするの。」

「しないもん」

「あなたは頑張ったんだもんって言うけど、初めての社会人生活、ピリピリしながら必死に頑張ってるのは息子も一緒だよ。今、自分のせいで息子にうつしたら、そのときあなた、どんな気持ちになる?きっと後悔するでしょう、もう独立している息子に私たちがしてやれることって、せめてそのくらいの配慮じゃないの?私はそう思って、大好きなカフェのお茶も我慢してるよ、親ってそんなもんじゃないの?」

切り札に息子を持ち出したのは正解だった。

「ヒーン、それはやだ、やだな、そうだな、いかんな」

「嫌ならどうするの?」

「やめる〜、やめますぅ」

なんと1時間40分、全力での討論会であった。

夫が風呂に入りに行っている間、食器を片付けながら息子と言い合う。

「母さんがあそこまで強く言うの珍しかったけど、言ってくれてよかったよ。俺が言ったら、絶対大丈夫大丈夫って流すもんな」

「私だって息子がいてくれてよかったよ。あれ、私だけだったら舐めて言うこと聞かないもん」

しみじみ、まあよかったよかったと二人、連帯感を高める。

「なんか、どっと疲れた」

「だよなぁ、俺も・・・おい、歌っとるぞ」

そんな二人の脱力も知らず、風呂場からはフンフンご機嫌の鼻歌が聞こえてくるのであった。