一昨日はカレー。変に隠し味などせず、箱裏の通りの分量と時間で作ったら「俺はこれを本当のカレーだと思う」と喜んで食べていた。テクがないんだから、素直が一番。
昨日は例のミートボールを潰し、玉ねぎピーマン、なぜかざく切りキャベツも残っていたので一緒に炒め、そこに冷凍していたひき肉と玉ねぎの炒めたのをバキバキ割り入れ、ホールトマト、砂糖、ケチャップ、ウスターソースを混ぜて煮込んだ。
「ミートソース・・・らしきもの」。
ついでに白状すると、ネットスーパーで注文するとき一緒に頼んだ「ササミと大葉、チーズのフライ5個入り」をトースターでカリッとさせ添えた。あとは切ったトマトとちぎったレタスと塩揉みしたキャベツに市販のドレッシングをかけただけのもの。
「これ、すんげえうまい」と息子が絶賛したのは「なんちゃってミートソース」ではなく、ささみのフライの方であった。
ミートボール潰しのパスタに関しては「ん、うま(い)」程度のリアクションだったが、リベンジとリメイク成功と、小さくガッツポーズする。
こんな感じでいいんだ・・・。
先日、落第点の記事を読んだブロガーさんが「一週間に一度か二度、ヒットがあれば充分ですよ」といったニュアンスのコメントを残してくださった。
それを読んだ時、なんというか、とても気が楽になった。
ガチガチに力の入った肩を「無理しなさんな」とポンポンっと叩いてもらったようだった。
よくよく考えてみれば、料理学校に通っていたわけでもないし、特別上手なわけでもないのに毎日毎日「おいし〜い」と喜ばれるものを作れるはずなどないのだ。
とにかく喜ばせようとするのは、もしかしたら自分の意義を喜ばれたり感謝されたりすることに求める私の軸の弱さのせいかもしれない。
特にお役に立っているところもない自分が唯一、彼らができないことでしてやれること。それが食事の用意なものだから、変な力が入っているのではなかろうか。
美味しい、と言われて得意になる。
そこだけを拠り所としているのではなかろうか。
もっと力を抜きたい。
不器用でめんどくさがりの自分のまんま、ゆったりユーモラスに。
肩を怒らせ、必死になって頑張る私はもう卒業。
3月だもの。
ムキになって頑張るのはもう終了。ゆるゆる楽しんでる私にシフトチェンジ。