昨日の雛霰は、さっさと姿を消し、我が家のお雛様は結局飲まず食わずで箱にお戻りになることになった。
ほんっと申し訳ない。
来年こそと心に誓う51歳。
もう時期誕生日が来る。52になる。去年、どういうわけか自分は52歳だと思い込んでいたのでなんだか、一歳若返ったお得感がある。
自分の誕生日というのはいつも少し複雑だ。
姉がプレゼントを母がプレゼントを、くれる。
この気持ちはすごくすごく嬉しい。しかし同時に、ああ、ホワイトデーには、ちゃんとお返ししないとなどと考える。
まだしっくり二人に甘えきれていない。だが、拒絶する頑なさはもうない。
30代くらいまでは、どこか当たり前のように受け取っていた。もちろんありがとうと、礼を言い、心も弾み喜んだ。
しかしそれと同時にどこかで「あ、どうもどうも。ありがとさんね。」という、どこかもらって当たり前というか、季節の風物詩的な、あ、ハイハイ的な、そんな傲慢な感覚も持ち合わせていた。
もらって当たり前。だって私はみなさんのためにいろいろしてるもの。
恐ろしい傲慢さ。
病気をして、心を病み、向き合ってこなかった母への葛藤、姉に対するコンプレックスや僻み、母に対する恨みがポコポコ浮き上がる。かなり長いこと苦しんだ。
掘り下げて掘り下げてとことん掘り下げる作業は辛かった。
客観的に捉える余裕ができ、見えてきたのは己の視野の狭さ。
母には母の事情と苦しみが、姉には姉のしんどさがあったのだ。
二人は抱えるものを吹き払うためについ、末っ子ををかまって笑うことでホッとした。
かまわれ揶揄われた私も、それが自分の役割だと心得、そこに自分の価値を見出した。
トンは馬鹿ですねぇ。この人馬鹿だから。
家族という近い関係の中でぐるぐる渦巻くものに、私はアップアップしながらみんなのご機嫌をとり、気が利くと褒められたりすれば舞い上がり、馬鹿だと笑われたら自分はみんなを和ませる存在だと得意になっていた。何か貰えば例えそれが自分の好みじゃ無いものでも大喜びをしてみせ、満足させるよう努めた。
それが次第に窮屈になり、疑問を感じ、怒りになったのは息子を産んだ後だった。
・・・遅い。実に遅い。
結論から言うと、やっぱりそこに愛はあったのだ。
悔しいことに、どう考えても圧倒的な大きな愛情でいつも包まれていた。
その中でつい、母も姉も私をからかい馬鹿にした。愛情の中でのことと、当然わかっているとの前提だったのである。
病気になって倒れ、精神科に通い始めた頃、母も姉も苦しんだのかもしれない。
母は「私を悪者にすることで気が楽になるならそうすればいいわ」と怒って泣いた。
この頃が一番辛かった。
それでも母も姉も私を深く愛しているのだと思う。
そんな気がする瞬間がこの頃、フッフッと度々やってくる。
今年の誕生日。
また二人は何か、持ってきてくれるのだと思う。
姉は、「こういうの好きでしょ」とちょっと得意になって。
母は、「これ、あなただから言っとくけど、結構いいお値段したのよ」と奮発したことを念を押しながら。
正直なところ、高価な品物はそれほど。
でも、私に対し、何かしてやろう、祝ってやろうと品物を選ぶ労力がしみじみありがたい。
投げ出さず、こんなにめんどくさい私を育て、包んで面倒を見てくれた人たち。
今もそれは変わらず続いているんだ。
なんだか取り留めの無い文章になってしまったなぁ。。。恥ずかし。