お雛様。昨日は雛祭り。
私も節分が終わった翌日から飾っていた。
いつも間近になってやっとひっぱりだすものだから、せっかくのお人形も一週間もしないで暗い箱の中に閉まわれてしまう。
今年こそと、早々に出したのだ。
「お姉さんのお雛様はあるけど、トンさんが持っていくのがないでしょ」
今は亡き母方の祖母が、どこかのセミナーに参加して作ってくれた木目込みの真多呂人形。
運んできてくれたときに覆っていた引き出物を包んでいたような薄い青と白の混ざった薄っぺらい風呂敷も、結び目のところが擦り切れている。が、祖母のぬくもりを感じて捨てられない。
不思議なことに人形よりもこの風呂敷に手先が器用なくせに大雑把だった祖母を感じる。
御代理様とお雛様の二体だけのささやかなものだが、私だけの、私のためのお雛様。
一度、体調が悪くしんどかった時に、今年はいいかとサボった。
その年の5月、私は死にかけ四ヶ月入院した。
依頼、身代わりになって厄を持っていってくれるという説を信じ、どんなに短くても、たとえうっかり一晩きりになろうとも、必ず出している。
今年も無事になんとか過ごせました。ありがとう。
ここから1年間また守ってくださいね。
遅れて出した年は「遅いんだよ」と睨まれている気がする。
それだけ頼りにしているというのに今年は雛あられをお供えしなかった。
買ったのだ。買うには買ったのだ。お出ししてすぐに。
スーパーでは2月の上旬から早々とひな祭りの音楽が流れ、雛霰や菱餅のお飾りが並び始めた。
買ってきたのに、食べてしまった。
まだ、いいよね。まだ二月だし。
食べかけを置くのも気が引けるしな。また買ってこよ。
あっという間に一袋完食した。
お雛様が召し上がる前に自分が食べちゃうってどうなんだと反省し、またすぐ買ってきた。
また食べちゃう。
ほろほろした甘さが優しく和ませるのだ。ついつい手が伸びる。
まだ売ってるし、また買ってこよう。
これを繰り返しているうちに、とうとうひな祭りは終わってしまった。
どうして複数買って、一つはお雛様、と思いつかなかったのだろう。
手にとってレジに並んでいる時は「これは、お雛様の」と本気で思っているのだ。
白山羊さんからお手紙ついた
黒ヤギさんたら読まずに食べた
あのループのようだ。
♪おきらくトンたら飾らず食べた。
しーかたがないのでも一度買った。
も一度食べたら3日が過ぎた。♪
今日、お雛様をしまうべきか。
まだスーパーに雛霰はあるだろうか。
さーっと引っ込められてしまっているかもしれないが、もしまだあったなら、今度こそお供えして召し上がっていただこうか。