待機せよ

息子、決戦の日が来た。

もう片方の親知らずを抜いたのだ。

「今度の方がまだ根っこが張ってないらしい」

前回の、もう生える寸前、というのに比べると、さほど成長していないらしい。

「じゃ、前の時より楽なんじゃない。意外と柔らかいものなら今夜から食べられるかもよ」

「まあ五日の辛抱だな。その間、また母さん可愛そう可愛そうって言うんだな」

「今回はもう免疫できたから、かわいそがらない気がする」

ちゃんと可愛そがれ、と息子は出ていった。

今夜は無理だとしても案外、明日にはいけるんじゃないだろうか。そう本気で思っていた。

・・いたのだが。

電話が鳴った。

「あ、オレ。今終わったんだけど。なんか今回の方がまじ、やばい気がする。やってる最中麻酔が切れてきて、3回、追加した」

なんでも、歯根が隣の歯の方に伸びていて、それをハンマーのようなものでガンガン砕きながらの作業だったという。

急に心配になる。それでも、まだ麻酔が効いてて全然痛みはない、薬もらってこれから帰ると、陽気な声だった。

庭に姿を見せた時も「ウィッス」と手をあげヘラヘラと歩いてくる。案外平気そうでホッとする。

が、それも束の間。家に入り、30分もしないうちに麻酔が切れ始め、頬は早くも膨れだした。

前回の時は一晩寝て起きてみたらパンパンだったのだが、もうすでに膨らんでいる。

そして、薬がなかなか効かない。

「くっそう。30分経っても痛えじゃねえかよ」

そうぼやくのを見ているだけでこっちは何にもできない。

「今度の方が絶対痛い、やばい」

「もうさ、痛み止めが切れたらどんどん飲んだ方がいいよ、手術した時、お母さんそう言われたよ、今は痛みもストレスになるから我慢しないほうがいいんだってよ」

なんとか少しでも楽にさせたくてそう言うと

「そんなこと言ったって最低でも四時間は空けて飲むように言われてんだよ」

そんなの、平気だよ、入院してた時、ガンガン飲まされたよ。

しかし、うっかり素人考えで、とんでもないことになってもいけない。言葉を飲んだ。

本人が我慢すると言ってんだから、何も私が余計なことを指図する必要はないのだ。

「今日、オレ、何にも食べたくない」

抗生物質があるから胃がやられないようにスープくらいは飲んだ方がいいよと言ってみたが、眉に皺を寄せる。

「何にも食べないとどうなるの」

「まあ、ちょっと胃が荒れるかなってくらいで、大丈夫っちゃあ大丈夫だと思うけど、なんか胃に膜張った方がいいんじゃないの」

とにかくオレ、ちょっと横になるわと、ふらふら階段を上がっていった。

さあて。

ピンコンピンコン。可愛そモード発令。

私の中で発動せよとランプが点滅する。

しかし、ここで私が一緒になって動揺しても何も始まらないのだ。

それは前回学んだ。何してあげよう、こうしてあげよう、これなら少し口に入れるかと気を回すのは本当に疲れる。

疲れるし、果たしてそれを本人が望んでいないこともあったのだ。

相手はもう大人なのだ。

一人暮らしをしていたら、こんな時、「くっそう」と言いながら、食べたくなるまで寝てるだろう。

待て。待機。動くな。

今、差し当たって私のすべきことはない。

本人が何か出してくれと言ってきた時に、その要望にあったものを拵えてやるのが、適切な応対なのだ。

心ではめいっぱいかわいそがりながら。