ベランダを見上げる

お向かいのご主人が亡くなった。コロナではない。

まだ70代くらいだったように思う。

急なことだった。一昨年、奥様が脳梗塞で倒れ体が不自由になってから、家事と看病とをなさっいるのをよくお見かけしていたから本当に驚いた。

5日ほど前、「なんだか疲れて動けない」と寝込み、あっという間のことだったそうだ。

小柄でと無愛想でとっつきにくく、ムスッとおっかない印象の人だったが、いつもきちんとワイシャツにズボンを履き、漂わせているオーラは照れ屋の優しいおじさんという感じだったので、お会いするたび「こんにちわ」」とお声をかけていた。

気付かぬふりして反応のないことが続いた。

通りを穿いている途中でも、私を見つけるとそそくさと引っ込まれてしまうと、「う、嫌われてるのか」と軽く傷を負う。しかし「気の良いおっちゃんのはず」という勘に確信があったのでしつこく挨拶し続けた。

門から出ると、ちょうど自転車を引っ張り出してとこかに行こうとするところのご主人と出くわす。

一瞬怯む。

が、空振り覚悟で挨拶をする。

そんなことを繰り返すうちに、こいつ、しつこい奴だと観念なさったのか、次第に、ちょっとうなずいてくれたりする事が増えてきた。

この変化に嬉しくなった私は、このあたりから馴れ馴れしく「こんにちわぁ」とヘラヘラ笑顔を浮かべながらお辞儀をする事が定着した。

ある日とうとう、「あ、どうも・・・」と、いかにも早くこの場を去りたいとでもいう素早さでボソボソっと発声し、頭を下向きに、ものすごい速さで動かした。

よっしゃぁ。

貴重な何かを勝ち取った悦びに、スキップしたい気持ちになったのを覚えている。

 

「そういえば救急車来てたもの、運ばれる時、胸を両手で押してマッサージしてるみたいだったわよ」

母は2階の窓からその様子を見ていたという。

私もサイレンがやけに近いなとは思っていたが、まさかあのおじさんのためのものだったとは。

お友達でもなんでもないのに、ぽかんと寂しい。

お向かいで、ちょこっと頭をさげあっただけの私がこうなんだから、奥様はどれほどだろう。

よく車椅子を押されて一緒にお散歩をしていた。

「うちも単身赴任が長くてね。定年になってやっと一緒に暮らせるようになったんですよ」

夫が兵庫に赴任し家を空けていた時、「あなた、お一人でよく頑張っていらっしゃいますね。すぐ返ってきますよ」とよく慰めてくださった。

 

こんな時期なのでお宅には上がらず、近所の有志で花を届けた、それとはまた別に両隣と我が家とで後日、ご挨拶に伺った。

「悪いね。あがってもらえなくて。悪いね、こんな格好で」

疲れが出たと、奥様は寝巻き姿だった。

「何か困ったことあったらなんでも言ってね、すぐ来るから」

お隣に住むおばさまが声をかけたが、私は何もいえなかった。

私は人のお世話をする余力がない。

ネットスーパの代理注文くらいならと思いつくが、そんな距離感でもないの者にでしゃばられても煩わしいだろう。

早々に皆、引き上げた。

両隣のお二人にお礼を言って、その場を去る。

二人はそのまま、立ち話を始めた。

門を入り、出かけに用意しておいた、小皿に盛った塩を手に取る。

一瞬、申し訳ない気がした。

なんだかたった今、お悔やみを言ったその直後に「うちにはこんな不幸、起こりませんように」と念じるその仕草が、デリカシーのないことのように思う。

指先で小皿から塩をつまみあげ、黒いセーターに3回、ふりかけ、自分で祓った。

 子供たちも巣立ち、家には彼女一人だけの生活が続いている。

あれから洗濯物が干されていない。

どうしているだろうか。