午後はのんびりできるのかよ。
毎日息子に言われている。
そんなにいつも忙しく働いているわけではない。
が、体調がいいとつい、いつか具合が悪くなってご飯作るのもしんどくなったときのために、今のうちにやれることはと作り置きを拵える。そしてそれによって減った食材をまた補充しにスーパーへと行く。
コロナ禍、朝昼晩と食べ物を用意すると、年がら年中冷蔵庫を開け閉めしているような日々になる。卵も牛乳も米も野菜も「これだけあれば大丈夫」と買ってきたつもりが何故かすぐに底をつく。
これは私に料理のスキルがないからで、ちょちょっとありもので一品などと気の利いたことができないものだから、あらかじめ何品か保存のきくものを作り置いて安心していたいと考えるからである。そして、いつ自分が動けなくなるかわからないので備えを用意しておきたいからでもある。
作りおきというものは、一度拵えたら数日楽をすることができるというもののはずだ。
しかし、心配性の私は、念には念を、いつも何品かすぐ出せるものを冷蔵庫に入れておきたい。
下味をつけた肉だったり、グラタンだったり、小さなミートボールだったり、肉じゃがにしても煮豚にしても、食卓に出せばすぐなくなってしまう。
じわじわと空になっていくタッパーが私を焦らせる。
すると、全部使い切っていないのに、空間を埋めるために新たな作りおきをする。
連日、前日やら3日前やらに仕込んだものを使っているが、同様に毎日、数日先のための仕込みをしている。
ブロッコリーひとつにしても、一気に茹でてしまっておいたのが、ぎっしり詰まっていないと不安になる。
冷凍庫にも鶏の照り焼きやら、ミートソースやらある。
それでも、減っていくのがいやなのだ。
このループにハマり、結果、常にチマチマと保存食を作り続けている。
ちょっとおかしい。
午前中台所に立ち、掃除と洗濯と買い物を済ませると、だいたい2時ごろにはぐったり使い物にならなくなる。もう何にもしたくない。
そこまでになってやっと「もうこれだけ疲れたんだから、ゴロゴロしていい」と自分を許す。
やっぱりどう考えてもおかしい。
「俺なんかぐうたらしてても全然平気。」
確かに息子はすごい。毎日昼過ぎに起きてきて、動画を観て日が暮れようと、全く気にしない。
「今日も喰っちゃねで1日が終わってしまった」
ワハハと実に幸せそうだ。
SNSの情報漏れやコロナ対策に関しては「そこまで気にする?」というくらい神経質なのに、日々の暮らしには実におおらかだ。
「もっとだらだらしろ、漫画とかドラマとか、観てゴロゴロすんだよ普通は」
そういうことをする自分に憧れるが、体力気力がないからか、数分観ると、もう集中できない。のめり込めない。そんな自分にがっくりするくらいならと何か作っては自己満足をする。
「かろうじていつまでも楽しいのはYouTubeの大吉先生のラジオくらいなんだもん。」
「じゃあ、毎日大吉先生を聴け」
妙な焦燥感に駆られ、常に今日は生産的なことをしたかと自分をジャッジする癖の私を、息子は理解できないと呆れて笑う。
そして潔癖症か被害妄想かと思うほどに、プライバシーや感染リスクに神経質になる息子を変な人と私は笑う。
加えて息子大好きで、いまだに赤ちゃんに話しかけるような口調で話しかけ嫌がられている夫。
それぞれ分野は違うが、うちの人たち、みんな変。