巣作り

なんと。

「あ、あそこのドトール、無くなったよ」

・・・。

私の愛するリラックスカフェ、駅の上のドトールが閉店してしまったそうだ。

「もう、白いシートで覆われて、張り紙がしてある」

コロナが落ち着いて暖かくなったらまた息抜きに行こうと思っていたのに、あっけなく消えてしまった。

あそこにある、あるけど行かない。のと、消滅して永遠に行けない。のとでは同じ「行かない」のでもずいぶん違う。かけがいのないものを失ってしまったようで狼狽える。

これから、泣きたくなったとき、悩み事があるとき、ひとりになりたくなったとき、落ち着きたいとき、どこに行けばいいんだ。

もう、逃げる場所はない。ってことは、もう逃げてばかりはいられないと言うこと。

神様が「もうええ加減、自分の力で頑張りなはれ」と示唆してらっしゃるのかもしれない。

家から逃げるな。

でん、と落ち着いて、闘え。そこが、お前の落ち着くところじゃ。

と言うことなのだろう。

実際、コロナで家族と向き合う時間が増え、距離も近くなり、ついでに年末から体調崩したため外出もほぼできず、否が応でもそうなってきた。

それまで適当に薄めて誤魔化していた自分の中のモヤモヤしたものが浮かび上がり、煮詰まっていく。

家族に自己主張することが増えた。

全てを受け入れられるように自我を無くしてしまいたいと考えた時期もあったが、そんな仏のような心の持ち主にはなれなかった。

怒ったり、いじけたり表現してみては落ち込み、今度こそおおらかに対応しようと誓う。そんなことを何度も繰り返しているうちにこれまで我慢していい顔してきた仮面も剥がれる。

我儘な自分がどんどん大きくなっていばり出す。

そっとドトールで心を落ち着かせ、何事もなかったかのように気持ちを整え家事に戻って「いい顔」を保ってきたが、それだと家族にとっては本当に「何事もない」まんまで、一方、私の中では「何事かがモヤモヤした負の感情をなんとか昇華した」といった意識だけが残る。

そんなんじゃ、いつまで経っても何も変わらないのだ、そんなんじゃ。

「あ、怒ったぁ。顔真っ赤にして怒ってる〜」

「舐めんじゃねぇ、こっちが大人しくしてれば付け上がりやがって」

このやりとりができるようになったくらい、私は強くなってきた。

ここが、私の居場所。

ここしかないんだ。

 

 

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暮れに浮腫がひどくなった際、母が担いできた布団がある。一歩も外に出るなと言う。

ありがたき過保護愛なのだ。