甘く

・・・昨日はどうも・・暗い記事になりまして失礼いたしました。

それでもああやって書いてみると、隠していた・・というより自分で気が付かないふりをしていた、認めないぞと思っていたカッコ悪いところが浮かび上がり、認めざる得なくなり、で、結局認めて。

書いた日の昨日は結構、情けない自分に直面して落ち込んでいたのですが、時間が経って

「そうでもない」「そう大したことでもない」

と思い始めています。

また知らず知らずのうちに、いい子ちゃんになろうとしていたんだと思います。

いい奥さん、いいお母さん、いい娘、いい妹。

いいってなに?

その「いい」ってやつは、私が決めた「いい」なだけであって、確なものでもない。

反対に「ダメ」って何?

私が線引きしてるラインや規律を守れてないのが「私の中のダメ」。

私の基準ってそんなに確かなもの?

なんだかだんだんわからなくなって、こんがらがりそう。

でもうっすらわかるのは、息子を育てた時のように自分にも接しようということ。

息子を育てるとき、育児書を何冊か読んだ。

大まかに、健康に関する大事なことはこの本、食事に関することはこの本、心理に関するのはこの先生と決まったら後はなるべくその手の本には手を出さなかった。

息子個人についての虎の巻なんてない。

後は自分を信じるしかない。

そう思って、自分の勘と息子の反応を頼りにやってきた。

彼がやりたいこと、言ってること、考えてること、やろうとすること、倫理に反しない限り全て肯定したらどんな道を進むんだろう。

私の欲とか希望を刷り込まずに、ただただ、応援したら彼はどんな大人になるだろう。

それを楽しみに、時には不安でたまらなくなりながら見つめてきた。

 

こっちが不安でも、息子はどんどん先を進んだ。嫌なものは嫌、頼むから少しはこうしてくれよと思うことも、自分が納得できなければやらない。

あれを捻じ曲げないで本当によかった。

個性が強いが、彼らしさをぷんぷんさせた大人になってきた。

今。私は自分自身が不安なんだ。

何が起きているんだろう、どうしてこんななんだろう。この先どうなるんだろう。

なんとかしなくちゃ。

そう思っている。

私が私のお母さんだったらなんて言うだろうか。

・・・・息子が反抗期、こんなふうに暗闇の中でもがいていたとき、どうしたっけ。

ああ、そうだ。

生きて、ご飯を食べているんだからそれで充分。

それで十分だと本気で思った。

 

 なんとかしなくていい。

なんかのタイミングでまた上昇するさ。しなかったらしなかったで、それもいいさ。

そーんな深刻になることないって。

 

・・と、現在こんがらがって拗ねてる私に言ってやろう。

自分に甘く。人にも甘く。

とにかく甘く。