病院で落ち着かない

病院に来ている。

今日はなんとなく健診というより、「例の続き」という感じ。

どこか緊張しているのが自分でもわかる。いつもやっている採血に加えて今日はレントゲンもある。

「ああ、お腹に溜まっているかどうか見るのね」

勝手に思い込んでいたが、撮ったのは胸部だった。あ・・心臓の方ね・・。

先生にとっての重要なのは心臓で、私にとっての一大事は浮腫と微妙なズレがあるということなのだろう。

つまり私は見た目を、先生は臓器の方をみている。

そして私の方のは「見る」であって先生の方は「診る」。

そこに気がついてちょっと恥ずかしい。

 

相変わらず笑顔が作れない。

特に夫に向かって笑えないのはおそらく甘えなんだろう。

何が面白くないのか、なんで気が落ち込んでいるのか自分でもわからない。

どうすれば元気が出てくるのか。原因はなんなのか。

別に怒っているわけじゃないんだがなあ。

これはひょっとして鬱の再来だろうかと思っているところにテレビで今、鬱になる人が増えているとやっていた。

意欲がなくなり、何もする気になれずお風呂も億劫になると言っているのと照らし合わせると今の私は違う。

食欲は落ちているが、買い物掃除も食事の支度もできる。お風呂もめんどくさいなと思う日もあるが入る。

やっぱりワガママなんだろうなあ。

なんだろうなあと、しているところにまだそれを完全に認めきれないこれまたワガママな私がいる。

 

浮腫はだいぶ減った。

元が痩せているから他人から見れば「そんなの浮腫んでるって言わない」くらいになってきた。

どうも便秘になると浮腫が戻るようなので、お通じをよくするお茶を飲んでいるが、それも飲み続けていいのか今日聞いてみようと思っている。

このお茶をやめろと言われたらまた逆戻りになる気がしているので怖い。

もひとつ怖いのは「状態がいいから薬をやめましょう」と言われること。この薬がなくなったらまたムクムクと元に戻ってしまう。

そんな気がして恐ろしいのだ。

なんか、先生、やめてみましょうという気がする。

まだお腹を押すと痛いのだ。

先生にそう話すつもりだが、「また神経質な患者が病気にしがみついて」とあしらわれるんじゃなかろうかと、これも不安だ。

あしらわれるっていうのは傷つく。自分が愚かなことを言ったようで落ち込む。

久しぶりに診察の前に落ち着かない。

 

ここに書いているうちにだんだん腹が据わってきた。

もう先生の言う通りにしよう。

それでまた膨れ出したならそのまま次の診察に行ってそれを見せよう。

先生が診ているのは中身であって、私が気にしているのは見た目なんだから。

圧倒的に先生が現実を診ていて正しい。

よし、決まった!

 

追記

先生はちっとも馬鹿にしたり軽くあしらったりしなかった。

お茶は飲み続けて構わないそうだ。よかった。

薬も「一気に減らさず慎重にまずは半分にしてみませんか」とのことでホッとする。

心臓に負担のかかっている数値はまだ基準値よりは高いが、経過観察でいい程度まで下がったそうだ。

「一応これ、渡しときますね」

血液検査の結果用紙をもらった。

見ると相変わらずあちこちHだとかLだとか並んでいて、明らかに基準値をはみ出している項目が何個もあるが

「あ、それね、気にしなくていいですから」。

先生があっけらかんと答えたので、ま、いっか。

とにかく、『先生に内緒で飲んでいるお茶』が『公認茶』になってよかった。

これで内緒がなくなった。

 

なんだかどっと疲れた。

これから帰宅して、息子に話して安心してもらおう。

「長生きしてくれ」と言わせてしまったからな。

母にも説明に行かねばならぬ。

また話が長いんだ、これが。心配のあまりだから無下にできない。しちゃいけないと思っている。

夫は出社しているから帰宅してからだな。

・・・って、あの人は気にしてるんだろうか・・。

でもま。一応報告しよう。

あなたの我儘カミサン、長生きしまっせぇ。