やる気満々だった息子との戦いはあっけなく終了となった。
二日目の昼までお互い口をきかずにいた。晩になって夕飯ができたと声をかけにいくとiPadから目も離さず「ん」と無愛想に応える。まだやる気だなと下に降り、なかなか降りてこないので普段なら待つところをさっさと食べ始めた。
やがて降りてきた。
「おいっ」
ツーン。
「おいっ」
「なんでしょうか」
「ごめんよっ」
勝った。勝ち誇ると同時にホッとする。
「何を、ごめんなの」
「人として心ない発言だった。あの言い方はよくなかった」
そう、そこ。体調を崩している隣に住む年寄を見舞うのに、電話でいいだろと言ってしまうドライさがいやだったのだよ。偽陰性であることを十分配慮して距離も空けていたと説明しても、取り合わず、関わるなと言う、その潔癖さ。優しさがないよね。
「と、冷静になると俺も思う。ごめんよ」
「もういいよ。もう終わりにしよう」
それから二人、食べ始めたのだがやはり、心がゆるんでの食事は話が弾み、楽しく美味しい。
「あれだな、やっぱり、人と会話するっていいな」
「そうだね。平和がいいね」
息子にはそう返事をしたが、実は、ちょっと喜んでいる私がいる。
これまでどこかで彼を理解しよう、できる限り尊重しようと自分の言い分をぶつけて衝突することを避けてきた。
生意気な自己主張も「まあそれもよし」としてきたのも、家の中でそうすることを重ね、自信をつけさせたいと考えてのことだった。
しかし、気がつけば、なかなか学食で食事ができず友達を作れなかった彼も、4年間のアルバイトや授業のグループワーク、仕上げの就職活動を通じ、だいぶ社交性が出てきたようだ。
下級生の相談にのったりしている。
もう、庇う必要はない。社会に送り出す直前のギリギリセーフだが、どうにか間に合った。
フルパワーでぶつかることを遠慮し接してきた息子と今回真正面からぶつかって、いわゆる親子喧嘩をし、そしてちゃんとうまく着地できたことにホッとし、安心して喜んでいるのだ。
ひょっとたら、大人気なく折れない私に「やれやれしょうがねえな」と息子の方が折れたのかもしれない。
それでもいい。
親子げんかしちゃったよ。ふふふ。