気にするでない、行け

息子が就職をして経済的にも仕事にもある程度の自信がついたら一人暮らしをすると言い始めた。

よしよし。

これで一安心である。

密かにあんまり家でのんびりくつろいでいるので、こやつ、居心地良すぎて出ていかない気だろうかと案じていた。

息子がいなくなった生活はそれは寂しいだろうし、しばらくは私自身が放心状態になるかもしれない。

しかし、息子には兄弟がいない。私たちが死んだあと、相談する兄も愚痴を言い合う妹もいないのだ。この家にひとりになって初めてその現実に彼が途方にくれることの方が不安だった。

青年も中年になり、壮年になる。

その間に結婚をして自立するという可能性もあるが、結婚と自立は別に考えたい。

結婚しなくても一人で生きていけるには。

生きていくことのしんどさと自由と両方を引き受ける楽しさを知って欲しい。

ところが、それを阻止しようとするものが現れた。

夫である。

「ええっ。なんでぇ。ダメ。よしなさいって」

手放すものかの勢いで潰しにかかる。

「家賃払うくらいならここにいて、会社の積立預金に入れた方がお金が貯まるよ」

大賛成の私に隠れて息子と二人きりになると囁くらしい。

それでも息子の意思は揺らがない。

目標は入社2年ぐらいしたら部屋を借りて出ていくそうだ。

「寂しいな寂しいな」

その話題になった夕飯どきに、何を言ってもつっぱねられ、そう言い出した。

これは反則である。

子供が羽ばたこうとしているその横で、親が寂しいなどと言って引き留めようとするのは、その子の性格にもよるだろうが、やっちゃいけないことだと思う。

感情論で縛るのは一番ずるい。

「父さんが何を呟こうと、気にするな。踏み倒してNASAでも宇宙でも飛び出して行きなさい。輝け」

そして妻もまた、夫が寝静まったところでそう囁くのだ。