どこに目を向けるか


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全部ベンチに座ったまま撮った。


買い物するついでにまた公園にやってきた。

平日の公園午後1時。

中央広場のベンチに腰掛けた。

今日は人もまばらで、ベンチもほどよく人がいて、ほどよく空いている。

芝生では近所の幼児とママ達がマットを広げてお昼ご飯。ベンチには一人で本を読む学生。犬の散歩をしているお爺さんとベビーカーを押す孫夫婦。聞こえてくるのはスケボーの音。自転車に乗りながら歌う女の子の高く透き通った声。自動販売機の音。

じっと腰を据えて座っていると、この前のように不安になったり悲しくなったりしない。

自分が異端児だと感じるよりも、風や陽射しや人の声が優しく私を包んでいるようで落ち着く。

やっぱり同じ空気感の人はいない。

当たり前だ。

それが悲しくなったのは私が悲しみの種を持っていたから。

 

同じ場所から撮った写真は景色が様々だった。

確かにここから見えるものを切り取ったものなのに、どっちを向いて、どこに焦点を当てたかで印象が全く違う。

そういうことなんだな。

 

私の環境、私の姿、私の性格、私の・・・・。

自分にスポットライトを当てすぎるのはもうやめよう。

自分の悲しいところ、気になるところをじっと見つめても、変わらない。

努力してみても、根本からは変えられない。

人間だって自然の一部だもの。持って生まれたものの持つ力は強い。

 

「おばあちゃんはさ、おじいちゃんがある日突然死んじゃって途方に暮れた日もあったでしょ」

「ないわよ。そんなの」

102歳で亡くなった母方の祖母が言ってたっけ。

「だって泣いたって変わんないんだもん、生きなきゃ。生きるんなら笑いながらの方がまだいいわよ」

 

どうして私はって見つめてドヨーンとすることは、この公園のベンチで撮る写真だとしたら、目の前にある穏やかな景色には目もくれず地面のアスファルトばっかり切り取る作業なんだろう。

 

顔を上げて。

明るい方を眺めて。

 

「泣いたってしょうがないでしょ。死んじゃったものはしょうがない。」

そう言ってケラケラ笑っていた祖母の顔が浮かんでくる。