やりすぎてしまった。
昨日、例によって一日中家でNetflix三昧をして過ごしていたら、衝動的に夕方、散歩したい気分になって出かけた。
息子は5時半に家を出てバイト、夫も昼過ぎから義父に会いに出かけた土曜日。
歯医者の往復だけの外出で「今日はのんびりしていい日」と勝手に決め込んで過ごしていたものの、80近くの母の友人が日傘をさして隣の家にやってきたのが窓越しに見えると、自分だけが怠け者のような気分になる。
そこに汗をびっしょりかいた息子が帰ってきた。
シャワーを浴び、昼の残りの野菜の天ぷらをうまいうまいと食べ、アイスを食べ、「じゃ、おれ、二階にいるんで」と上がっていくのを見ていると、そのエネルギーについつられてしまった。
「ちょっと歩いて来る〜、すぐ帰るから心配しないで」
「はーい」
夕方4時、やっと少しは風も吹き、過ごしやすい気温になっていた。
どこに行こう。あてもなく、とりあえず、左に、家の前の緑道を進む。
あれだけ毎日歩いていた頃の自分が信じられないくらい、足がすっかり重く動かない。
YouTubeに保存してある、もう何回も聞いたお気に入りのラジオ番組を聴きながら歩いているうちにだんだん調子が出てきた。
行ける?行っちゃう?
帰りはバスに乗ればいいか。
思っていたより歩ける自分が嬉しくてつい、隣町まで足を伸ばした。
駅前の本屋で新刊を二冊買う。やはり本は自分の手で、店頭で選び買うのがいい。このところ、外に出るのが億劫で、不精してネットで紹介されているものの中から選んでいたが、店だと話題にもなっていないが、自分好みのちょっと内容の偏ったものが見つかる。
服も、本も、音楽も、映画も、どちらかというと、今の時代より若干ズレたところに私のワールドはあるようなのだ。
今回も「やや偏った本」を見つけ、いい気分になったものだから、ついつい、そのまままた、歩いて家に向かう。
夏の夕方の街。若いお父さんと、幼稚園いくかいかないかくらいの子供達のペアがいくつか、草っぱらの公園でそれぞれ、水遊びをしたり、サッカーのキャッチをしたり遊んでいる。
坂道をピューっと自転車で制服のスカートをなびかせて下っていく女子高生。
試合帰りの野球少年たちの列。
夕飯の買い出しに向かうご夫婦。
ああ、外に出てきてよかった。
その中をヘラヘラ歩く。
家に戻る頃には私も汗びっしょりで、一丁前気分。エネルギッシュな夏の日になったと誇らしく、息子の真似をしてすぐにシャワーを浴びた。
夕飯を食べる時も、そのあとも全くなんともなかったのだ。
疲れたなあと、アイスを二個食べるくらい元気だったのに。
朝起きたら、頭痛、腹痛、足はじんじん縺れる。
這うように起き、テストがあるという夫に、とりあえずカレーを出し見送った。
トーストといちごジャムとスイカの朝ごはん。
・・・ダメだ、と二階に上がった。
そこから一瞬、記憶がない。どうやらベッドに倒れ込んだところで寝ていたらしい。
ああ、馬鹿なことしちゃった、やりすぎちゃった。
どうして何かしないと自分を認めてあげられないんだろう。
夫に対しても、息子に対しても別に偉くなって欲しいとか、有能であって欲しいとか思わない。ただ、存在していて欲しい。できることなら健やかに。そう思っているのにどうして自分自身に存在価値を見出せないんだろう。
体重が35キロを切ってしまった。157センチの身長だから非常に危険な数字だ。
どうしてこの状況でも何かをなさないとと不安になるのか。
カウンセリングを受けたら、楽になるのだろうか。
そのままでいいと、カウンセラーに言ってもらいたいだけなのだと、わかっている。