気持ちの整理がなかなかつかなかった。

自分は長生きできないかもしれない。

そう考えるのと並行して日々は続く。

この漠然とした不安は、夫に呟いたところで彼は彼の日常に追われているから共有はされない。第一、そうしっかりと医師に宣言されたわけでもなく、「統計からいくと、このままでは死亡リスクが高い」と警告されただけなのだ。

今、火がついているわけではない。小さな火種がちらほらと見えているという段階では消防署に連絡をしないように、緊迫感はないから「ちょっと大変!火事です〜!」とも叫べない。

ボヤはボヤのうちに叩き消すことができる。

それでもこの状態を知って自分と同じ温度で怯えてほしい。

何枚も何枚も突っ張りの皮を剥いでいくと、情けない甘ったれの私の正体が鎮座している。

それはずっと前から私の中にチンマリとあったものだ。

子供の頃から。

 

お父さんに会いたいな。

20年前に亡くなった父はついに、記憶の人となってしまった。

皮肉屋だけど優しくて、不器用だけど頭脳明晰で、豪快でユーモアに溢れるように見えて繊細で人一倍気を遣う。

最近息子が恐ろしいほど父に似てきた。

息子が成長すればするほど、私の中の父親へのの生々しい想いは小さくなり、夫、私、息子の生活がそれを目隠しする。

あれは夢だったのではないだろうか。

あんまりに、今のこの3人の暮らしが大きくなりすぎて、時々ふとそんな風にすら思えてしまう。

ピアノの発表会の時、演奏が終わり舞台から降り廊下に出た私を、向こうから嬉しそうに両手を広げて立っていた父も、それに飛びついてぎゅうっと抱きしめてもらったときの満足感も。

生意気な娘の頬を打とうとして思わず手を降り上げ、睨み返す私を見つめながら、悔しそうに悲しそうに手を空中でグッと止めていた、あの表情も。

全て私の妄想だったのではないだろうか。

あの時はそれが強烈な現実だった。

今、私の目の前にはまた別の現実がある。

 

過去はないのかもしれない。

未来もないのかもしれない。

 

先を考え狼狽る私も。

過去を思い起こしてぼんやりする私も。

今、ここにいる。

今、ここ。

 

こうやって思っていることを文字にしている私も、あと少しすれば

「ご飯ですよ〜」なんて言って、違うことで頭は埋まる。

「今、ここ」は連続しているけれど、過去も未来もない。