猫のような

そういえば、こうずっと家に夫も息子もいる生活は初めてかもしれない。

お盆や暮れの長期休暇に家族が同時に家に集まることなら、これまでもあった。

しかし、働きながら、オンもオフも常に一緒にいるのはなかった。

大変だ。

自分のリズムなどない。

家族に合わせて動く日々だ。

夫の会議と息子のウェブ面接と授業に合わせて上に下に移動し、食事を用意する毎日も、振り返れば2度と戻らない貴重なものになる。

息子は日々大人になっていく。

面接で外の大人と接する機会を重ねるたびに自分を見つめ、自分を固める。

まだお尻に卵の殻のカケラが残っているが、いつ跳びだっていってもおかしくない。

そう思うと「最近コロッケしないね」と言われりゃ、イソイソ揚げるのだ。

振り返れば夫がいる。

ずっと仕事で早く出て行っては夜遅く帰り、週末は友達との付き合いか個人の勉強だった。

たまの予定のない週末は、一緒にどこかに連れ出すのも気の毒なくらい疲れ果てて寝ている。

いつも私は一人で突っ張ってきたが、家に夫の気配があると何故だろう、ダラダラと昼寝をすることが増えた。

そんなにラブラブ愛してるってわけでもない。

たぶん、私はデリカシーを持ち合わせないやたら丈夫なこの、大きな傘の下で寝ていれば安心だと本能的に知っているんだろう。

この傘の下にいると、自分が何者なのか、生まれてきた使命はなんなのか、生きていていいのか、そんな小難しいことを考える気が失せてくる。

今考えているのは今日の夜の献立のことだけ。

それでいいのか、私。

そんなんでいいのか。

まあいいや。

まあいいか。