ちゃんと言わないとわからないこと

コロナは母の不安を多方面から募らせている。

庭に出るのも恐る恐るで、一歩も外に出ない。

有名で身近な存在だった人が亡くなったと知るたびに、いよいよ他人事ではないのだと怯えている。

先日、母に呼ばれた。

「ちょっと、相談があるんだけど」

もとから終活しないとと、言っていたが、自分だっていつ何時かわからないと、真剣に考え始めたという。

「あなたはいいのよ、旦那さんがいるから、退職金もでるし。問題はお姉さんなのよ、あの人ろくに貯金もしてないし、一人だから。会社の退職金だってそうは出ないし」

離婚して独り身の姉の老後を案じている。

これまで何度となくこの話を聞かされてきた。若い頃は、そんなの大丈夫だよ、私たちもそばにいるんだから。お姉さんの老後、寂しい思いはさせないよと、言っていた。今も心のそこからそう思っている。

いずれ息子が自立し母がいなくなったら、夫と姉と三人で同居することになるだろう、いや、もはやそうなる前提で夫ともよく老後の話をしている。

しかし、そう私が安心させようと言ったところで

「あなたの気持ちは嬉しいけれど人の心はその時になると、どんな事情で、変わるかわからない」

と暗い顔を明るくしてくれない。その度に私はお腹の中を見せてあげたいと、悔しかった。

息子が成人を越えた今なら、痛いほどわかる。

不安で不安で、心配で心配でたまらない。

確なものじゃないと安心できない。

55を過ぎて独身の姉を遺して逝くことが彼女の一番の気がかりなのだ。

「何も平等に半分にしなくていいじゃない。それだったらお姉さんの方に安心して暮らしていける分多く相続させるように遺言に残せばいいじゃない」

本心である。私は昔から、親のお金については、基本、借金さえ残さなければそれでいいと思っている。もし、少しでも残ったものがあるなら、それは、ありがたく頂戴いたしますという考えだ。

生前に、母が姉のためにマンションやらなんやら買えるんなら、買ってあげるのも一案ではないかとも思う。

「そうなんだけどねぇ。弁護士の先生に相談したら、遺言書ってあんまり意味ないんですって」

それは私が、その場になって、意義ありっ!と手を上げた場合のことじゃろが。

「じゃあさ、私が一緒についていって、それでいいですって判押して、公正証書にして貰えばいいじゃん。いいよ、私、行くよ、別に、大丈夫よ」

「そお?どうせね、お姉さんが死んだらあの人子供いないから結局は孫ちゃん(私の息子)のところにいくんだからね。でもまぁ・・・この話は保留ってことでね」

母は遠慮なのかすんなりこの案を受け入れなかったが、表情は明るくなった。

「でも、あなたがそう思ってくれているってことがわかったから安心だわ」

言わないとわからないのか、こんなことも。

わからないのだな。

言ってもわからないのかもな。

 

ひょっとして私がどんなに息子を大事に思っているかも、夫がどんなに自分にとって掛け替えのない存在で大事なのかも、ちゃんと口で言っていないから、彼らもちゃんとわかっていないのかもしれないなあ。

それでも息子の方には、退院してからは意識的に伝えている。折に触れ冗談交じりに「愛してるもん」「私の宝だから」「好きに決まってるじゃん」と照れもなく口にしている。

夫。

一度も伝えたことないなあ。

そんなの言わなくたってわかるだろ。

世間の旦那様がよく主張し、非難されるあの言い分。

思い当たりすぎる。

 でもなぁ。今更なあ。

いつかタイミングをみてちゃんと言おう。

いつか。

いつかと言っているうちに後悔しないよう。きっと言わねば。

 

あぁっ。想像しただけでも赤面だっ!