息子の「大丈夫だよな」。
たいていの場合、いや、ほとんど、私はこれへの返答は「絶対大丈夫」と答える。
彼の考えは、慎重で、真面目で、まっすぐだ。
考え抜いて出したやり方が、私に理解できないとしても、それは確かな道だと背中を押してやりたい。
しかし、今晩彼がもってきた「・・でいいよな?」には同意出来なかった。
楽な道を選ぼうとしていた。
だから迷いを感じる。
「私ならそうしない」
問題点を指摘せず、どうしろとも言わなかったが、後押しはしなかった。
迷いと不安を突き放された息子は、次第に声を荒げ、部屋を出て行った。
これでいい。その先は私のでる幕ではない。
ここで同調するのはそれこそ私自身が親として楽な方を選ぶことになる。
そうしなかった自分に、納得できた。やるべきことはやった。
あとはそれを耳に入れた上で彼が決定すればいい。
一時間ほど経った頃、寝室のドアをノックして息子が入ってきた。
「さっきはごめんよ、これ、やってみようかと思うんだけど」
こんなとき、すべての厄介ごとが一瞬どうでもよくなる。
私は神様に愛されているとさえ思う。
すべてに感謝する。
自分に背かずにいてよかった。
息子も背かず進んでいく。
すべてに感謝します。