徒然なるままに

今朝、いつもより遅く起きてくると、昨夜の皿が洗ってあった。

「一応洗っておきましたんで」

夫がやってくれたらしい。

おお。

そうだ。昨日の夜はどうにもこうにも起きていられず、夕食後皿も洗わず早く布団に入ったのだっった。

階段を下りながら「ああ、汚れた皿が待っている・・」とうんざりしていたのだ。

身体も相変わらずしんどいし、皿洗いはあるし。今朝は昨日の味噌汁と納豆だけにしちゃえ。

そう思っていたのに、汚れ物を片づけてくれたと知ると「よおし、甘い卵焼きでもやいたるかぁ」という気になる。

だからといって急に元気になるわけではない。でも、しんどいなあと思いながら卵を割るとき、ウキウキしていた。

昼近く。今日は1時に下りてきてねと夫に言った。

「息子とあなたと食べる時間が開きすぎてると、それぞれ夜のお腹の空き具合がそろわないから。1時になったらすぐ降りてきてね」

なにしろ、相手はテレワークをしているらしい。迂闊に部屋に入って行ったら映りこむ可能性がある。下から大声で怒鳴った声が聞こえてしまうのも気をつけたい。

いろいろ調子が狂う。

それでも夫が一日中家に居るのは毎日が日曜日のようでなんか、嬉しい。

息子と顔を合わせれば揉めて、うるさいが、じゃれあっている二人を見ていると何故だろう、豊かな気持ちになる。

身体を壊す前は、常に、朝から晩までピンと張り詰めていた。

なにをそんなに忙がしがっていたのか今ではとんと思い出せないが、気を抜くと罰があたるとでも思い混んでいるように決めた家事ルーティンが山のようにあって一つづつ終わらせては心の中にチェックをつけていた。

二人を眺めてほのぼのした記憶は、ほとんどない。

のそのそ起き上がり台所に立つ。昼は残りもののカレーと決めていた。

それまで散々ねっころがっていたので幾分チャージされた。

・・野菜がいるなあ。ほうれん草を炒めて皿に取り出す。今度は卵を二つジャーッと入れて半熟状態で取り出す。青菜を戻入れ卵を乗せて塩を振って混ぜ合わす。こうすると黄色が綺麗なままのふわふわ卵になる。どうしてこれだけの手間をめんどくさがったのか、なにをそんなにあの頃いそいでいたのか。

卵の食感。青菜の匂い。どうでもよかったし、そもそも喜ばそうと思ってご飯を作っていなかった。

あの頃の超突級の車窓から見逃した景色はどれほどあっただろう。

もったいないことをした。

当時、自分のことしか考えていなかった。

自分の満足、達成感、充足感は、全部自分でじゃないと生み出せない、誰も頼ってはならぬと頑張っていたのだ。

疲れきるまで頑張っているから周囲もピリピリ怖かったのではないだろうか。

 

ぐたあっと、ぼんやりなんにもしてない、油断しているとき。

それはふわあっとやってくる。

友人との会話の後だったり。

庭に咲く花の香りだったり。

家族が気まぐれで皿を洗ってくれたときだったり。

包まれているような。