日曜日の夕方、夫と近所のスーパーに行こうと玄関に来ると、いつもある場所にショッピングカートがない。
いつも狭い三和土の隅に置いておく。それが、ない。
「ねえ、ここにあったショッピングカー知らない?」
何か大きな荷物を持って出るのに使ったのかと夫に尋ねた。
「知らないよ、そいういえばないね」
「ってことは息子かなあ。なんに使ったんだろう・・・あ!」
私だ!
この前あそこのスーパーに持っていったんだ。
白菜と牛乳とお米を買わないとならなかったので引いていったんだった。
普段はカートは使わない。重い野菜や油、牛乳などをたくさん仕入れるとき、車も自転車も運転できないのでゴロゴロ引っ張っていくのだ。
店に入ると、レジ脇のカウンターにずらっと並んでいる他所様のものの隣に自分のを置き、会計を済ませるとそこから持ってきて買ったものを積める。
これを買ってからは夫に車を出してもらわなくとも、好きなときに重さに左右されずに商品を選べるので、便利で最近は週に一回の割合で使っている。
そうだ。確か一昨日、体調が思わしくなくて、とりあえず買ってこねばと、引きずり出ていったんだった。
そしていつも通りレジ脇に置いて、店内でぼんやりしていると、頭の鋭いママ友さんに挨拶されて、あわあわしながら会話して、カゴの中身をじっくり見る視線を感じ、買うつもりだった冷凍食品とお菓子をやめてパパパっとレジを済ませ急いで店を出たんだった。
お茶好きな彼女に誘われる前に早いとこ帰ろうとしたんだったっけ。
店に置きっぱなしだ!
呑気なもんで、翌日別のスーパーに買い物に行っている。玄関にカートが無いことに、二日経ってようやく気がついたのだった。
「僕はなんか玄関スッキリしたなあって思ったけど、またトンさんのさっぱりスイッチが入ったのかとばっかり」
入ってないよ、そんなスイッチ。
「お店の人に言って引き取らないと。まだあるかなあ。あるよね。あんなもの持っていったって仕方ないし」
夫は嬉々としてついてきた。
道すがら何度も何度も「恥ずかしくないよ、大丈夫、僕が言ってあげる、恥ずかしくないからね」と慰める。
それほど恥ずかしいと思っていなかったが、次第にありえない失敗をやらかした気分になり気持ちが落ち込む。
店につくとまっすぐ足早に「お客様カウンター」へと、夫は向かった。
「トンさんは、いいよ、ここにいなさい」
そんな犯罪人みたいに。いいよ、自分で行く。いや、いいから。そこに居なさい。
夫がやや張り切って事情を話すと店の人は忘れ物を記録しているファイルを開いて調べてくれた。
よりによって彼女か。
偶然カウンターに居たのは、レジのリーダー格のキレッキレの若いお姉さんだった。
お客さんと軽口を叩いたりせずいつも黙々と仕事をこなす。会計時に、店のカードがなかなかでこないで慌てていても、無表情で何も言わずじっと待っている。
その、妙な貫禄のある彼女が一旦ファイルから目を離し私を見た。
「ショッピングカーですか・・・・」
ここじゃなかったか。だとしたら記憶すら曖昧になっているということで、それはそれでさらに落ち込む。
「・・・ドットの・・?」
ああ、違うドットじゃない、なかったか。私のは水玉だ。・・ん?ドット?
ドットって、あ、水玉のことか。
短く思考がクルクル働く。
「そう、グレーの。それです。すみません!」
「ちょっとお待ちください」ニコリともせずお姉さんは店の奥に消えていった。
やがて、懐かしい我がカートをヒョイと持ち上げながら「これですか?」と現れた。
「そうです!スーミーマーセーン。」
両手を出して受け取ろうとするのを夫が手を出し、引き取った。
取り戻した安堵感と保管して置いてくれたありがたさと、恥ずかしさがごちゃ混ぜにこみ上げ、店員さんに何度も頭を下げた。
彼女はひとしきりペコペコし終わった私を、どうしたらこのような忘れ物が発生するのだという不思議な表情で、まじまじとながめ、最後にニヤッと笑った。
その男前の笑顔に救われる。
優しい人なんだ。
とっつきにくそうに見えるけど。
「ほら、じゃあ買い物するよ」
知らぬ間にカートを定位位置に置きにいった夫が、店内用のカゴを手に戻ってきた。
「今日は僕がいるから大丈夫、忘れないからね、安心して買いなさい」
うるさいなあ。
夫は晩の食卓でもう一度、このネタを息子に話し、私はここでも「どうしたらそうなるんだ」と不思議がられた。
自分でもまるっきりわからない。
でもあってよかったよ。