助けを求めろ

息子、「お腹がまだ痛む。治りきっていないのかもしれない」と朝一番の予約外で病院に行った。

「やっぱり手術したほうがよかったのかな」

「大丈夫だと思うよ」

「あのとき救急の先生、薬だとまた痛くなることがあるとか、放っておくと腹膜炎になることもあるとかいってたじゃないか」

そういうこともあるという話。腹膜炎も我慢し過ぎてそうなることもあるよという話。

直感ではそこまでの事態ではないと思う。見た感じでは若干まだ、傷が疼いているという印象だ。

ただ、根っこの部分で炎症がくすぶっているのかもしれないとも思われる。

就活が本格的に始まってまた痛み出してもよくないし、なによりまた夜中に大騒ぎは私にしても息子にしても勘弁してほしい。

「とにかく安心するためにいってみたら」

ということになった。

「万万が一、手術したほうがいいって言われたら、就活を考えて自分の都合のいい日時を先生と相談して決めておいで」

結果から言うと、入院手術の必要なし。白血球も正常値に戻っていた。

炎症がまだ残っているのかもしれないので念のためもう一週間抗生物質が出された。

あら、また抗生物質・・・。

綺麗さっぱり無罪放免というのではないのか。多少の不摂生も放っておいて大丈夫、という手荒な扱いにはまだ早いか。

ちぇ、まだ気が抜けない。

母の思いとは真逆で本人は上機嫌で帰ってきた。

「すごい親切な先生で、ちゃんとデータを見せて解説してくれて、治ってきているって見せてくれた。食べ物も好きなもの食べていいって。」

就活が本格的な頃、また痛くなるなんてことありますかと尋ねたらしい。

「私の予測ではこの薬を飲みきったらもうそんなことはないと思いますって。もしそれでもまた痛くなったら我慢せずまた来てくださいねって言ってくれた。珍しいよな。医者でこの薬飲んだら治ると思うって自分の考え言ってくれるの」

確かに。お医者さんはいつでも最悪のことをやんわり匂わせるが、絶対治るとはなかなか言ってくれない。

そう言えばこの薬を飲めば効くと思うとも言われたことがない。

「とにかくさ、ちゃんとよくなっているのがわかって安心した」

ああそうか。

自分が「よくならない状態を抱えている」ことに慣れてしまっているので、多少の異常値も不具合も毎度のことと容認するのが当たり前になっていた。

息子はそうじゃないんだ。健康なんだな。

「だけどさ、あそこ、紹介状がないと初診診ないんだな。退院後の検診も出来るだけ近所の診療所に行くよう書いてあった。それなのに退院して何年経ってもくるように言われる母ちゃんってヤバくね?重症患者じゃん。さてはオヌシ、毎日無理をしているだろう。もっと助けを求めろ」

珍しく食べたお皿を洗ってくれた。