昨日、就職活動する息子の応援団等に徹するべしと書き、自分のあり方を再確認することができた。
ブックマークのコメントに、大丈夫だよと残していただいたのを読むと、それが私を勇気付ける。
ブログの力ってこういうところにもあるよなあ。
しみじみありがたかった。ありがとうございます。
さて、母である私の気持ちが晴れて落ち着くと、不思議と食卓にも笑いが戻ってきた。
「結局さ、地道に頑張り続けることにした。どうなるかわからんが」
「どうなるって、いいようになるに決まってるじゃん、そこは心配してないよ、私」
「そうなの?俺、もう人生終わったと思ってた」
はあぁ?何言ってるの!
いくらなんでもそこまで思い詰めるなんて。
こんなことで人生終わっちゃうわけがない。
あんまりのことにおかしくなって笑ってしまった。
「そんなこと考えてたんだ。まあショックだったんだろうね。わかるけど。まだまだこれからだよ、君の人生は。これからどんどん急上昇で楽しくなるよ」
「そうなの!?」
今度は息子が目を見開いてこっちを見る。
「そうだよ。投げやりにならずに、前を向いていたら悪い方向に行くわけがない。あなたが本気になってスイッチが入った時、いつもわけのわからないパワーに後押しされていい方に進んだじゃない。その時がくるよ、今回もまた。ある時、マジになって頑張る時がくるから、そうしたら絶対大丈夫」
「いつだよ、それ!」
「そんなの知らんがな、自分で決めて生まれてきたはずでしょう、俺はここでスイッチ入れるって、忘れちゃったんじゃないの?」
「それはいつなんだ!」
おかしくなってゲラゲラ笑う。
「知らないよ、スイッチの場所もすっかり忘れちゃったんじゃないの?神様に聞いてくれば?僕のスイッチ、どこでしたっけねぇって」
そのあとも、どこだ〜いつだ〜と叫び続けていた。
夫がそこに帰ってきて、食事に加わり賑やかに会話をし始めた。
めでたしめでたし。
・・・
・・・・で終わると思うでしょう。
私もそう思ってこの晩はさっさと先に寝た。
「母さん、腹が痛い・・・」
起こされたのは11時ごろ。
息子がお腹を抱え、枕元に立っていた。
便秘をしていないか、牛乳を温めて飲むといいと言ってまた目を閉じた。
しかし、数分後、またやってくる。
「治らない、なんかますます痛い・・」
見ると冷や汗をかいている。これは様子がおかしい。
一緒に階下にいき、経口補水液を飲ませるが、苦しみ方は治らない。
熱はない。かなり水分を取らせても症状変わらず。なんだろう。
食あたり?いや、家族三人同じものを食べた。第一、食後2時間以上も経っている。なるならもっと早くなるはずだ。
そうこうしているうちに手足はだんだん冷たくなり、寒い寒いと言い出す。仕舞いにはガタガタと震えが止まらなくなってきた。
これはまずい。
消防庁の救急相談センターに電話した。
♯7119。出てくれた看護師の人に症状を言うと、救急車を手配するから、このまま電話を切らずに救急隊に住所氏名を伝えるよう指示された。
そこからあれよあれよと言う間の救急車。
私の通っている国立医療センターを希望すると、運よく受け入れてもらえた。
12時。
急いで母のところにいき、これからサイレンを鳴らしてうちに救急車がくるけれど、怖がらないように、息子がお腹が痛いから病院に行くが、意識もあるし、自分で歩けるから心配しないように、何かわかったらお姉さんのラインに連絡を入れるからと、説明する。
オロオロする母をなだめ、大丈夫だからねと、また急いで家に戻るとちょうど、微かにピーポーピーポと聞こえてきた。
夫が後から車でついてきてくれ、二人で廊下で待った。
三時間後、診断結果は虫垂炎だった。
初期段階で見つけたので手術はせず、抗生物質で様子を見ることになり、無事、帰ってよし。
夫の運転する車の窓から朝刊を配るバイクのおじさんが見えた。
実家の二階の明かりがついている。
再度母のところに行き、大丈夫だと今度は細かく説明する。
浅い眠りの中待っていた母もやっと安心してくれた。
「お騒がせました、安心して寝てね」
つい、母の頭を撫でた。
時刻は3時45分。
6時にはバイトを休む電話をするために息子を起こさないと。
少し、眠れたようだ。
昨日のあれは夢だったのか。
ぼうっとした頭で起き上がる。
息子の部屋を覗くとよく寝ている。
よかった。
元気が一番。
今日が頭が回らず調子が出ない。
それすらもありがたい。
家の中に笑いがある。
笑顔が一番。