かけら

なんとなく調子が出なくてドトールにやってきた。

最近多い。

しばらくここに通わない日々が続いていたのは、毎日やりたいことが山積みで台所に立っていたからだ。

低温調理や手捏ねパン、ミートパイに無水鍋筑前煮。

気持ちが張りすぎていて危険だなあと薄々感じつつ、せっかくかかったエンジンが切れるのが怖く勢いに任せていたが、いよいよ身体から「ええ加減にしてくれや」と抗議の声があがった。

なーんも、したくない。

思えば温泉にいきたいなあと思い始めたあたりから、休め休めサインがでていたのだ。

なーんも、したくない。

ここで、この声に従い本当になんにもしないと、あっという間に闇に落ち込む。

エンジンは切らず、軽くふかしながら、立ち止まる。

アイドリングというやつか。

省エネになってない。

エネルギー温存を優先させるとしたら、さっさと布団に入って横になった方がいい。

蛇口をキュッとしめれば水はでない。

私の休憩は緩く閉めた蛇口からポタポタとこぼれ落ちている。エネルギーダダ漏れだ。

しかし、母たるもの、妻たるもの、女主たるもの、交通と一緒で完全停止は混乱を巻き起こす。

間引き運転をしながら調子を整えるのだ。

家の中で静かに本を読んでいても内容が頭に入らない。

ビデオも映画も入り込めない。

意味なくなにか食べたく、ウロウロ歩き回り、iPadを開いてはまた閉じる。

そうだ。ドトールにいこう。

読みかけの本だけを持って化粧もせずに家を出た。

歩いて五分の道のりは行き交う人々、春のような陽気、学校帰りのランドセル。

これだけでも外に出てきてよかった。

私もちゃんとここにいると確認できる。

ドトールはいい感じの混み具合だった。

適当に仕事、勉強をやっている人、新聞を広げているおばあさん、ワッフルを頬張る親子。店員たちの活気。食器の音。BGM。

その中に混じって席につく。

人の間に入って、一人。

家でテレビの前での一人きりより落ち着く。

ひとりひとりの中でのひとり。

私もちゃんと生きている。

調子が落ちるとここにくるのは、寂しがりやなのかもしれない。

でも知っている。

私だけじゃない。

みんな実は、寂しがりやのかけらをどこかにそっと持っているんだ。

普段は箱の中にそっとしまっている。

用心深く誰にも見られてはならぬと鍵をかけている人もいれば、おおらかにパッカパッカと蓋が開いたりしまったりしている人もいる。

以前の私は鍵をかけ、おまけにチェーンもかけ、さらにそれを戸棚にしまって鍵をかけていた。

そのしまった場所を見ないよう見ないよう、そんなものは自分には必要ない感情だと取り出せないようにしていた。

最近、わたしのそれは気がつくとプッカプッカと目の前を浮上する。

だいぶ戸締りが甘くなった。

そんなに警戒しなくても。

もっと無防備に。

もっと緩く。

 

1.30 (木)