感謝の祭り

黒豆と栗きんとんを作った。

しばらく正月の準備に何かを作ることをしていなかった。

どこかで冷めていたんだと思う。

一生懸命がむしゃらにやってきて、倒れ、それによって再生不能になり、もう過去の自分のようには生きられないんだということを受け入れるまでにずいぶんかかった。

今もまだ、すっかり吹っ切れてない。

すっかり吹っ切れたら、また立ち上がろう。

その時になったらリスタートを切ろう。

今はまだ違う。今はまだダメだ。そうやってずっとリハビリを引きずってきた。

なかなか思うように回復しない。

死にそうだったとこからの復活だから、これでも奇跡なんだ。

事実、同じような容態で入院した中には、退院してもすぐ病院に戻り亡くなるケースもあるんだと説明されたことがある。

夫や息子に窓のところに立って「行ってらっしゃい」という朝、いつも奇跡を噛み締める。

クリスマスを祝えることを今年はしみじみ、ありがたいと思った。

やっとそれがわかるだけのところに視座が移った。

ありがたいことなんだな。。と判っている、から、こみ上げてくる感謝。

ここに自分が存在していること、夫に出会ったこと、息子に出会ったこと、母と姉と家族であること。

すべてに。

すべてが奇跡の上に成り立っている。

 

単純だからクリスマスのあの満ち足りた思いをもっと深く味わいたくて、正月のあれこれをやっている。

サツマイモを蒸す湯気。黒豆の味見。大根を茹でている独特の香り。その合間に作る煮豚。

めんどくさいと思っていた大匙小さじも、一つ一つゆっくりちゃんとやる。

祭りだ。

何の雑念もなく、年越しの準備をする台所は祭りのように活気があって華やぐ。

丹念に丹念に納得いくまで何度も煮含めた豆は、これまでにないくらいふっくら艶々に仕上がった。

中にぎっしり感謝と幸せが詰まっている。